宮城県、松島の外れに住む音楽を作る大学生、早坂春音。
自分が思うかっこいい大人、なりたい大人。大学生として、これからの未来に不安や疑問、そして期待を抱きながら、そんな大人たちと公開雑談。では、いってきます。
連載「あなたの話を聞きたい」第2回
今この瞬間の楽しさを大切に
タブラ奏者ユザーンの歩んできた道
僕がユザーンさんを初めて知ったのは高校時代。先輩の影響で聴いていた日本人のHIP-HOPアーティストとコラボした楽曲だった。普段聴いていたHIP-HOPの曲のビートではあまり聞かないような音に、最初は「何の音だろう?」と思った。調べるとそれはインドの楽器でタブラというもの。それを演奏するのがユザーンさんだった。
タブラの不思議でかわいい音が耳にスッと入って心が揺さぶられ、それからよく聴くようになっていた。
今では大好きなアーティストの一人でもあるユザーンさんに、学生として、また音楽を作る者の一人として、これまでの道のりを聞いてみた。
U-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESS / BUNKA
「タブラ奏者として生活できるようになろう」とだけ決めていた
早坂春音(以下、早坂)
ユザーンさんは18歳からタブラを始められたとのことですが、タブラを始めてみて、将来の方向性はどのように決めましたか?
ユザーン
インドにタブラを習いに行くことを決めた時、同時に「まずはタブラ奏者として生活できるようになろう」とも決心しました。
なので、最初から決めていた感じです。
早坂
最初からなんですね。
その後はどのようにタブラ奏者としての活動が始まったのですか?
ユザーン
「演奏活動を自分の生業としていく」ということだけは決めて、あとは流れに身を任せていた感じですね。誘われたライブやバンドに参加したり、レコーディングの仕事を引き受けたりすることを続けているうちに、活動の幅が徐々に広がってきました。
早坂
タブラ一筋でやっていこうという思いだったんでしょうか。
ユザーン
一生の仕事にしようなんて最初から思っていたわけではないですけど、もっとうまくなりたかったので「タブラを叩くことが仕事になれば、一番楽器に触っている時間が多くなるから、必然的にタブラが上手くなるんじゃないかな」と。なるべく早い段階でタブラだけ演奏していられるような環境に身を置いて、そこから本当に上達できるかどうかを考えた方がいいだろう、と思っていました。
早坂
そうだったんですね。
では、タブラ奏者として、曲作りというのはどうやって始めていったのですか?
ユザーン
元々、曲を作ろうっていう気持ちは僕の頭の中には全然なかったんですよ。僕は演奏家になりたかったから。演奏する人にとって楽曲を制作することはそんなに必要じゃないと思ってたんですね。ところがだんだんインド古典音楽以外のシーンから声がかかる仕事も増えてきて。
メロディやコード進行があらかじめ決められている曲でも、タブラをどう演奏に組み込むか自分でアレンジをする必要が出てきました。「この曲でこういう音が鳴っている時に、果たして自分はどんな演奏をすれば音楽として良くなるのか」っていうことを真剣に考えないと、ただエキゾチックな雰囲気を出すだけの存在になってしまいがちなので。
そんなことを続けていくうちに、アンサンブルのやり方みたいなのがわかってきて、自分の好きな音楽や作りたい曲が見えてきたんだと思います。
蓮沼執太 & U-zhaan – A kind of Love song feat. Devendra Banhart (Official Video)
ユザーン
でも、一番のきっかけは、12年くらい前にいくつか立て続けに依頼された、CM音楽制作の仕事かな。ひとりで曲なんか作ったこともないのに、せっかくだからやってみるかと引き受けちゃったんですよね。広告系の仕事って期日もタイトだし、仕方なく無理矢理頑張ってなんとか形にしているうちになんとなくできるようになってきた感じです。
早坂
じゃあ、音楽理論とかも勉強はしていないですか?
ユザーン
そうですね。基本的には小中学校の音楽の授業で習ったくらいの知識しかないですよ。あとは小学生の時に地域の合唱団に入っていたり、中学の部活が吹奏楽部だったりしたことはありますが、細かな理論はほとんど勉強していないですね。音楽のこと、未だによくわからないです。
若者への支援の価値
早坂
日本で活動していて楽しいこととか、ちょっと苦しいこととかはありますか?
ユザーン
うーん……。いつも楽しいですよ。すごく楽しい。
日本以外の国と比べようにも、僕にとってはインドしか比較対象にできる国がないんですが、インドは何をするのも色々大変なんです。日本にいるときの数倍は疲れる。もちろん、あの国にしかないようないいところもいっぱいありますけどね。
日本人はみんな几帳面で優しいし、個人差は当然あれど、すごく素敵な国民性だと思います。まあ、僕が比較的恵まれた人間関係の中で生活させてもらえているだけなのかもしれませんが。
ユザーン
日本の問題点?うーん、強いて言えば、芸術にしろ研究にしろ、何かを志している若者を支援するシステムが他の国に比べたらかなり少ないような気がします。
いま考えるとすごく感謝すべきだなと思うことがあるんですけど、大学を休学して1年間インドへ行くにあたって、両親がお金を貸してくれたんです。いや、後でちゃんと返しましたけどね。でもその時、無利子で渡航費や滞在費を借りられたことはとてもありがたいことでした。僕が今なんとか活動できているのも、10代後半から20代前半にかけて頑張っていたことの遺産というか、その時期に金銭的な問題でやりたいことを諦めたりせずに済んだおかげだという部分が大きいと感じています。
10代、20代のアーティストや研究者たちへ向けて国を挙げた活動支援を展開しても、決して無駄にはならないんじゃないかな。僕は40代になりましたが、たとえば40歳、50歳の人にとっての100万円と、若者にとっての100万円って全然違う価値があると思うんです。吸収力が溢れる時期ってそんなに長くないから、そのタイミングで何か目標がある人に対し、融資や援助が積極的になされる世の中になるといいなと感じます。
「幸せは他の場所にはない」
早坂
最後の質問ですが、いまの学生とか社会人に伝えたい事をお聞きできたらと思います。
ユザーン
伝えたい事、特にないな……。
早坂
ははは(笑)。
伝えたいというか、何か「こうしたら面白いかもよ」みたいなことでも大丈夫です。
ユザーン
まあ若い頃なんて、何をやっていても大丈夫な気がします。というか、基本的に僕は「こうしたら面白い」という行動規範なんかないと思っているんですよね。置かれた状況や生まれ持った性格だって人それぞれの中、いかに瞬間瞬間を楽しんでいくかが重要だと感じていて。
なんというか、「こうなったら幸せ」みたいなものを意識しすぎたまま生きてると、結局いつまで経っても楽しくならないんですよね。その時々での楽しさを探していかないと、ずっとなにかを追い求めているだけの人生になっちゃうんじゃないかな。幸せであるかどうかは自分が決めることなので、身近な幸せを積極的に見つけていくことが大事だと思います。
Homesick in Calcutta Vol.1
今「何かを始めよう」「好きな事を頑張りたい」と思っている人。僕もその一人。
ユザーンさんとお話をして、自分が目指すものへの覚悟と、純粋で真っ直ぐな意識を感じた。僕は「今音楽を作っているけれどそれで何ができるだろう?」そんな事で悩むこともある。でもとにかく続けてみる。それで何ができるかは、これから頑張ったぶんが決めることだろうと思った。
U-zhaan(ユザーン)
1977年埼玉県川越市生まれ。18歳でインドの太鼓・タブラと出会い、世界的タブラ奏者のオニンド・チャタルジー、ザキール・フセインに師事。2000年から2010年までASA-CHANG&巡礼に参加。2011年にレイ・ハラカミとのコラボレーションアルバム『川越ランデヴーの世界』をリリース後、2014年には初のソロアルバム『Tabla Rock Mountain』を発表。ヒップホップやポップス、ジャズ、エレクトロニカなど、ジャンルを超えたコラボレーションを行うことで知られる。またインド修行中のTwitter投稿を収めた『ムンバイなう。』『ムンバイなう。2』が好評を集めるほか、ベンガル料理本の監修など、多彩な活動を展開。2019年8月から開催のあいちトリエンナーレに参加。40日間毎日10時間のタブラ演奏の修業を「Chilla: 40 Days Drumming」と題し一般公開する。 http://u-zhaan.com/ Twitter @u_zhaan Instagram @u_zhaan
spotify 「Tabla Rock Mountain」U-zhaan
※この取材は、2019年5月3日、塩竈市杉村惇美術館大講堂「魅惑のバザール&新井孝弘×U-zhaanインド音楽ライブ」の際に行われました。
協力 木村麻理 高田彩
撮影 小畑琴音 タイトルデザイン 早坂春音