宮崎夏次系は、光栄なことに我らのメディア『BGM』でカバーイラストを手がけてくれている。
『BGM』は、新聞という紙の手触りを感じられるオールドメディアと、指1本でスワイプするだけで一気に広がるウェブメディアを組み合わせる試みをしようと奮闘中。喫茶店で流れるBGMのように、古いような、新しいような感覚をテーマにした、宮城発のまだ道半ばのメディアだ。
そんな『BGM』のコンセプトを、宮崎夏次系が月に一度、一枚の絵に軽やかに表現してくれる。届いたファイルを開く度に、はっと初心に返る。彼女の仕事はいつも物事の本質を突いて、眠っていた気持ちを目覚めさせるような力がある。
宮崎夏次系による『BGM』 のカバーイラスト
『BGM』の企画に携わっている筆者、高野明子は、宮崎夏次系と中学3年の秋に知り合い、それから高校の3年間を同じクラスで過ごした。しかし世間にとってみれば、宮崎夏次系は、実に謎に包まれた漫画家に違いない。彼女はいったい、生活の中で何に重きを置き、何をモチーフに創作しているのだろうか。
このテキストは、私たちがゆるゆると電話で交わした会話をまとめたものだ。
5月のある日のこと、私は訳あって滞在中のフランスの小さな街から電話をかけた。本当だったらお茶でも飲みながら顔を合わせて話したいところだったのだが。
宮崎夏次系は、大阪や東京で本の出版を記念したライブペイント、トークイベントなどを終えて家路に着いたころだった。日本は夜、フランスは昼だったが、気がついたら2時間以上話していた。
尚、私は宮崎夏次系のことを本名で呼んでいる。文中で宮崎夏次系はMちゃんとさせていただく。挿絵は宮崎夏次系による『BGM』のための描き下ろしである。
宮崎夏次系は宇宙人? 地下鉄で通った美術予備校
宮崎夏次系(以下、M)
もしもし? フランスはどう? お米食べてる?
高野明子(以下、T)
もしもしMちゃん? お寿司用に売ってるお米食べてる。
M
上手く喋れなかったらゴメンね。
T
まぁまぁ。私が高校の美術科のクラスメイトの中で初めて見かけたのがMちゃんだったの。中学3年の秋、初めて美術予備校に行く地下鉄の中で。予備校に着いてから、あっ、さっきの子だ。この子も同じクラスなんだって思って。ショートパンツにショートカットでヘッドフォンして、大きな画板が入ったバックを持って、Mちゃんの漫画にでてくる少年みたいで可愛かったな。既になんというか、地球の人じゃない感があった。Mちゃんはいつから予備校通ってたんだっけ?
M
中学校の頃は『るろうに剣心』に憧れて剣道部に入ってて、予備校には引退したあと、中学3年の夏からだよ。
T
ちっちゃい頃から絵を描いてたの?
M
小学1年生の時に、字が書けないから絵で交換日記をしてたのね。それがすごく面白かったの。
T
高校のクラスの中の誰が漫画家になってもおかしくない状況だったけど、まさかMちゃんが漫画家になるとは思ってなかったよ。漫画家になろうって思ったのは大学に入ってから?
M
大学の就職活動ができなくて、現実逃避して漫画を描いてたんだよ。
おばあちゃんが話す昔話 モチーフについて その1
T
Mちゃんの漫画って、社会に置かれてる環境を我慢し続けて弾けちゃった人をモチーフに描いてることがあるよね。会社に真面目に通ってたら犬になっちゃったお父さん(※1)とか、お人形のコレクションを奥さんに認めてもらえない旦那さん(※2)とか。
※1 宮崎夏次系『夢から覚めたあの子とはきっと上手く喋れない』(モーニングKC、2014年)第三話「リビングで」より
※2 宮崎夏次系『僕は問題ありません』(モーニングKC、2013年)第二話「朝のバス停」より
左『僕は問題ありません』、右『夢から覚めたあの子とはきっと上手く喋れない』単行本表紙
M
そうだね。おばあちゃんの昔話を聞いていると、ちょっと外れた人が多くて。おばあちゃんはあたりまえのように喋ってるんだけど、風変わりな人とか出てきて、いったいどうなっちゃうのかなって思うんだよね。気が触れたことを重要視していなくて、ギャグっぽいというか。
T
ほほう、昔話! おばあちゃんはお元気ですか?
M
うん。95歳くらいだけど、元気にビール飲んでるよ。
T
Mちゃんもおばあちゃん感あるよね。話し方とか。高校の頃からずっとそうだけど、超優しい。Mちゃんの漫画はおばあちゃんの語りを継承する部分があったんだね。私はどちらかというとコンプレックスが多い方だから、読むと癒される。
M
ただ、つくっている時に、わざと人を崖から落として手をつかむような、辛いふりして救済するみたいな話を書いてしまうというのは、意地汚いなぁと。
T
難しいことだね。辛い場面を描いてる時は、Mちゃん自身も辛いってこと?
M
そうだね。でもそういう時はね、だいたい締め切りに追いつめられてるからなんだね(笑)。
T
つくってる時は、過去でも未来でもなく、今なのね。
M
うん(笑)。
T
そんな状態でよくあんなものが描けるね。やっぱりあなたは天才なんですね! つくってる時って、読者と漫画の中の人物の距離感も設計したりするの? 次こう描いたらこうなるみたいな。
M
あんまり考えられないよ。
T
Mちゃんの漫画は、高い塔が空まで続いていたり、マンホールがいきなり飛び出てきたり、次元から解き放たれていて、夢を見てるみたいな感じがする。
M
たぶん恥ずかしさで、 そういうふうにしちゃうんだよね。
T
恥ずかしさって?
M
くそー!っていう気持ちを原動力にしたぶんだけ、ファンタジックになるんだと思う。
T
そうだったんだ。今後、穏やかな方向性に開けていく可能性もあるのかな。最近連載している『アダムとイブの楽園追放されたけど…』(※3)はシュールでポップな育児コメディーだよね。
※3 宮崎夏次系『アダムとイブの楽園追放されたけど』1巻(モーニングKC、2018年)子育てエンタメサイト『ベビモフ』にて連載中。
M
そうだね。次は呪われたぬいぐるみが暴れまわる話とかできたらいいね。
T
ホラーかな? 読んでみたい!
宮崎夏次系がタイトル画用に描き下ろした「やろうたち」
ブタメンとヨーグルトとアトリエ 高校生活の思い出
T
高校は、校則がなくて私服で単位制の学校だったんだよね。美術科のクラスは、誰かが逆立ちで歩いても、いいねそれ! って許容し合いながら、とりあえず自分のことを思いっきりできる雰囲気だったなって。
M
K先生っていたでしょ?
T
Mちゃんの漫画(※4)にも登場するよね。
※4 宮崎夏次系『僕は問題ありません』(モーニングKC、2013年)巻末短編「金湖先生」より。その他にも高校の先生がモデルと思われる作品が掲載されている。
M
薄い画用紙で立方体を自由に造形して着色するっていうしんどい授業があって全然できなくて。私が作ったモノを見てK先生は「こんな出来のものを駅に置いたら、人に蹴飛ばされて忘れられるよ」って。
T
K先生はそういう先生だよね。本当のこと言ってくれて愛がある。私の目の前で、先輩が人間の体くらいの大きさの彫刻を彫ってたんだけど、石膏取りの時に失敗して、全部ガラガラと崩れてしまって。そしたらK先生が先輩に「おめでとう!」って。「この先こんなに大変なことは到底ないから、これ以上良い作品しかつくれないね」って言葉が忘れられない。
宮崎夏次系が描いたお世話になった美術科の先生たち
M
あとね、S先生。高校の頃の私はなんかひねくれてて「大の大人になった画家が子どもの線を目指して描くんだから、やっぱり子どもが描いた絵には叶いませんよ」ってS先生に言ったら「おまえは大人になっても子どもみたいな線が描きたいのか? 大人にしか描けない線があるんだから、今更そんなもん描きたいと思うかな〜?」って言ってた。
T
今はどんな線が描きたい?
M
わからない……。ぶれぶれの線が好きだな(笑)。
T
2年生から、デザイン、洋画、日本画、彫刻、工芸って専攻が別れて、Mちゃんは洋画専攻で油絵描いてたね。
M
それぞれに制作ができるアトリエってあったでしょ。私は家が遠かったから電車の時間が限られていて、早い時間に登校してたのね。早朝にアトリエに行くと、高校から家が近いはずのSちゃんがいつも先に制作してた。もう来てるんだって嬉しかったな。
宮崎夏次系が記憶をたどりながら描いた洋画専攻のアトリエ
T
MちゃんとSちゃんはお互い切磋琢磨する関係だったんだね。Sちゃんはアンニュイな雰囲気でいつもおしゃれだった。ある日、眼鏡をかけてきたから視力が下がったのかと思ったら、ただの伊達眼鏡で「道で拾った」って話していて。その日から毎日その眼鏡をかけてたんだよね。
M
(笑)。Sちゃん面白かったね。朝早く学校に来て、ブタメンとヨーグルトを食べて、Sちゃんのことを時々眺めながら絵を描いたり。
T
なんという組み合わせ。でも1限目終わったあとも早弁してたよね?
M
いつもお腹空いてたんだよー。
T
昼休みを昼食じゃなくて制作の時間に当てるためにも、授業が終わる度にちょっとずつお弁当を食べ進める人が多かった。だから教室はいつも食べ物の匂いが充満していて、他のクラスの女の子に「なんか臭くない?」って言われたのを覚えてる(笑)。みんなのロッカーには本屋さんが開けるくらいの量の漫画も積んであったね。
M
漫画、たくさん貸してもらって読んだな。高校に入って、きらびやかでしとやかな気持ちを取り戻した。アニメの『忍たま乱太郎』が始まる時間になると、みんなちょっとそわそわしてたね。楽しみすぎて。
T
『忍たま』のBL(ボーイズラブ)を描いてる子もいたね。その他にもコスプレ衣装つくるために合宿したり、同人誌つくったり。私は漫画に詳しくなかったから、みんな楽しそうにしてるなぁって眺めてたけど。
M
そうそう。好きなキャラが本編で死んでも、クラスの誰かが翌日、素晴らしい二次創作で蘇らせてくれるんだよ。
T
後にも先にもあんな環境はないよね。
電球、カーペット、生活の中にある物 モチーフについて その2
T
私もMちゃんも高校卒業して美大に行って、ある意味近しい価値観をもってる人と絡んで生活することが多かったよね。それでもそこから見た視点で、自分に遠そうな世界の人のこともMちゃんの漫画にはちゃんと描いてある。そういうエッセンスはどこからやってくるの?
M
えーっとね、小学校の時にね、近所に寄り道していた家があった。なんであのお兄ちゃんの家に寄ってたのかな。
T
えぇ〜! 学校の帰り道に誘われたの? 今の世の中だったらありえないよね(笑)。
M
まぁ、そうだね。「おいでー」って誘われて友だちと行って。
T
そこはどんな場所だったの?
M
小学校から近い普通の一軒家だったんだけれど、日当たりがよくて、庭も広くて。その家の窓から見た小学校の風景を、すごく鮮明に覚えてるの。こっちから見るとこう見えるんだみたいな。居心地が良くて、部屋の中にはなぜかカレンダーがたくさん飾ってあったんだよね。
T
Mちゃんの世界観をつくっているエッセンスとしてすごく納得できるよ。
M
小学校の時に見た風景が、人生というか、思い出の大部分を占めてしまう気もする。
T
そうだね。頭が柔らかかった子どもの頃に見たものって原点になるかも。漫画のストーリーをつくる時は、どんなところから着想を得るの?
M
電球とかカーペットとか、そういった物から考えることも多いよ。
T
本当に想像力がたくましいよね。
M
私はゼロから何かをつくるのが苦手なんだよ。昔、学校の課題とかあったじゃない。課題を出された方が楽だったなと思って、自分で自分に課題を出してる感じかな。
若林恵『さよなら未来』(岩波書店、2018年)
世界の最前線に触れてきた気鋭の編集者、若林恵さんによる思索と発信の軌跡を集成。
宮崎夏次系がカバーイラストの他、本文の解題として巻末に漫画を書き下ろしている
T
Mちゃんがアートワークを担当した、『さよなら未来』の著者で、元『WIRED』(※5)編集長の若林恵さんがウェブサイトで、Mちゃんについて書かれてたよね。(『さよなら未来 希望篇 宮崎夏次系さんのこと』) 『WIRED』の表紙のイラストのお仕事の時に、「ラップをしたお皿に背徳的な未来を感じています」ってことを話したんでしょ。そんなことを物に対して思うの?
M
『WIRED』のお仕事は、今思うと少し変わってて、なんというか、夜食をつくる感じだったんだよ。「夜だけど、なにかない?」みたいな。だから、そんなぼんやりと頭に浮かんだことも描いていいような気持ちになれたのかな。
※5 『WIRED』は1993年にアメリカで創刊された、テクノロジーによって、生活や社会、カルチャーまでを包括したわたしたち自身の「未来がどうなるのか」についての雑誌。日本版は、2017年12月に休刊。現在はウェブメディアで展開している。
T
物から着想するのと同じように、ふとクラスの誰かを思い出したり、街で人間観察をしたり、人をモチーフにして考えることはある?
M
そう言われてみると、あまりないかな。自分以外の他者から受ける感じは、わりとポジティブなものが多くて、キャラクターの外見はたくさんモデルが居るよ。
T
そっか。ライムスターの宇多丸さんのラジオ(※6)で、星野源さんがMちゃんの本をご紹介されてて、SF小説家の星新一が実は漫画家だったみたいって表現してたね。私もその番組を聴く前から思ってたんだけど、影響は受けてるの?
※6 星野源さんが、TBSラジオの番組『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』2014年6月21日放送の「梅雨の推薦図書特集」にて、宮崎夏次系の単行本『変身のニュース』を紹介。既存のどの作家にも当てはめることは不可能ということを念頭に置きつつ「宮崎夏次系は、小説家の星新一が実は漫画家であり、つげ義春が漫画『ねじ式』で実現した夢を表現する力をもち、高野文子の漫画の自由な描線とキャラクターの心の振り幅を説明文なしで表現する力をもち、黒田硫黄のような予想できない展開力をもつ漫画家である」といった内容のトークを繰り広げた。
M
星新一は教科書に載ってるのを読んだくらいかな。恥ずかしいんだけど、活字の本を読むのにとても時間がかかるんだよ。最後まで読めなかったりして。
T
そうなんだ。ドキュメンタリーとか映画も観たりする?
M
学生の頃は、マフィア映画をよく借りてた。変な殺人鬼が出るの。で、夜になると後悔するのね。怖くなってきて。また昼になると観るんだけどね。
T
映画のあと一日中ブルーになっちゃったりするよね。そう考えるとMちゃんの何も言葉を発することのない物をモチーフにするっていうのは良い方法なのかもしれないね。
M
ありがとう。今はそれがあっている感じ。
T
物って全て身の回り、生活の中にあるものね。
M
死ぬ時にも身の回りにありそうな物をモチーフに選んでるの。ある映画監督が、最初は宇宙とか貴族の話をモチーフに映画にしていてそれも好きなんだけれど、最後に身の回りのことに戻るっていうのが面白いなって思って。トイレットペーパーとかね。椅子も良いよね。
T
そうよね。椅子なんて名前つけたくなるくらい可愛いよね。この感覚、どのくらいの人に伝わるかしら。
M
Tちゃん昔から椅子好きだもんね。たまに、漫画を描く時に「いいなと思ってほしい」という気持ちが湧き上がったりするんだけど、そういうことじゃないだろうという気もするし。誰かのためとか、どこか不誠実だと思うし。
T
共感を得ようとすることより、自分が表現したいことの方が真実だよね。そういうものづくりをしていれば、伝わるべき人にはちゃんと伝わる気がする。
M
もうちょっとがんばります。
T
宮城に帰ったらビール飲みに行こう!
M
ビール行こうね! 体に気をつけるんだよ。
宮崎夏次系 情報
最新刊 アダムとイブの楽園追放されたけど… 1巻(モーニングKC、2018年)
人類初の地球上で最初の人間「アダムとイブ」が、”全人類初”の子育てに挑む! 赤ん坊をカワイイと思えない超クールなイブと、子煩悩なおっとりアダムによる、ずっこけ創世記育児コメディ!! 子育てエンタメサイト『ベビモフ』にて連載中。
培養肉くん
お肉が食べられない作家の木下くんと、彼に食べてもらいたがる不思議な居候・培養肉くんのSF(すこしエスエ・フ)なスペース冒険譚!デジタル増刊『コミックビーム100』にて毎月第1金曜配信中。
宮崎夏次系
1987年宮城県生まれ。これまでにないマンガ表現を模索する絵柄や描写で、評論家や目利きの書店員から2010年代を牽引する逸材として注目を集める。作者の初単行本『変身のニュース』(短編作品集)が文化庁メディア芸術祭マンガ部門「審査委員会推薦作品」に選出されるなど、今、もっとも今後が期待される若手作家の一人である。その他の著書に『変身のニュース』『僕は問題ありません』『ホーリータウン』『夢から覚めたあの子とはきっと上手く喋れない』『夕方までに帰るよ』(すべて全1巻)がある。現在、この連載の他に、『なくてもよくて絶え間なくひかる』(小学館)、「SFマガジン」(早川書房)にて漫画を連載中。 Twitter 宮崎夏次系情報
イラスト 宮崎夏次系