亀井桃×佐藤那美 対談 これから10年後の未来
クリエイティブの阿吽の呼吸
―― 亀井桃さんはイラストやデザインのフィールドで、佐藤那美さんはサウンドデザイナーとして、仙台のクリエイティブシーンに欠かせない存在です。お二人の出会いは?
佐藤那美(以下、佐藤) 出会ったのは2年前、仙台のクラブ「SHAFT」でのイベントでしたね。

亀井桃(以下、亀井) 私がライブペイントをしていたイベントですね。那美ちゃんの曲を聴いていたので、知人にあれが那美ちゃんだよって教えてもらって、その場で声を掛けに行ったのを覚えています。それで乾杯して、酔っていい気分に……(笑)。

佐藤 一気に打ち解けたよね。
亀井 うん。そう思うと、改めてクラブっていい場所だなぁと思いますね。
佐藤 今、クラブはどこも大変な状況。SHAFTは、コロナウィルスが収束して来られるタイミングになった時に使えるドリンクチケットを販売したりして、何とか存続していますね。
亀井 イベントを企画しようとしても、なかなか難しい状況ですよね。
―― お互いへの印象はいかがでしたか?
亀井 那美ちゃんには基本的に信頼感がある。仙台で表現活動をしている人の事は耳に入ってくるし、あまり喋らなくても通じていると勝手に感じています。
佐藤 私も同じ。仙台で表立って表現活動をしている同世代の女性で、ぴん! とくるのが桃ちゃんだから。桃ちゃんのイラストを見ていると、「ローカルが一番グローバル」だと思う。良いオリジナルは、もうローカルにあるじゃんって。
亀井 嬉しい!
夢がある表現
亀井 昨年一緒に作った、岩手県大船渡市のさいとう製菓さんの「かもめの玉子」のCMの仕事は面白かったね!
佐藤 そうだね。仙台で映像制作をしている株式会社KUNKがディレクションと映像を担当して、私が音楽を担当させてもらって。
亀井 私がアニメーションのイラストを描いた。チーム感があってとっても楽しかったね。CMのイメージは大船渡の世界。キャラクター案なども提案した中で、最終的にあの形になりましたね。
佐藤 曲は3案作った中で選んでもらったのがあの曲です。
亀井 CMは、映画館で『鬼滅の刃』の上映前に流れることに! 年末、妹を誘って観に行ったら、本当にばーんってスクリーンでCMが流れて。自分の絵が流れてきたら、嬉しいとか、やったー! っていう気持ちより、「嘘でしょ〜!」って爆笑しちゃって。笑いが止まらなかった。
佐藤 私も観に行った〜!
亀井 だって音聴きたいもんね。音も凄く良かったし。
佐藤 夢があるよね。
亀井 そうそう。夢があることを伝えたいよね。
―― 誰が観ても、くすっと笑える楽しさがあるCMですね。
亀井 今の現代、いろいろなことで自信をなくしてしまう子もいますよね。みんなが楽しめる伝え方って何だろうなって考えますね。
荒浜CDP
―― 3月のBGMトップページでは、桃さんのカバーイラストと那美さんの楽曲の両方を楽しんで頂けます。 カバーイラストは、昨年から桃さんに担当していただいていますが、今年は東日本大震災から10年ということで、宮城の様々な場所の今を桃さんに描いてほしいとオーダーをしました。
亀井 単純に、やりがいがあるなとワクワクしましたし、大切に描きたいなと思いました。場所の案を出していただいて、改めて現地に足を運びたいなと思いましたし、それが自分にとっても良いツアーになるなって思いましたね。いろいろな人にとって大切な年だと思うし、それぞれの場所毎に大切に想っている人がいるから、いい意味で、荷が重いなと(笑)。
――実際に、モチーフにする場所に毎回訪れて描いてくださっていますね。 3月に描いていただいたのは、荒浜のスケートパーク「CDP skatepark & playground」です。那美さんは繋がりがある場所ですよね。
佐藤 2015年、当時のCDPのスタッフの方が、「那美ちゃんのライブをCDPでやりたい」と言ってくれたんです。その年から小さな夏祭りを開催していて、荒浜の地元の方や農家の方が、お菓子やきゅうり棒など夏祭りっぽいものをふるまってくれていました。私もそこで演奏させていただいていたのですが、去年はコロナウィルスの影響で中止となりました。
佐藤 オーナーの貴田さんにはずっとよくしていていただいて、お友達です。 貴田さんって、毎日CDPにいるんですよ。春夏秋冬ずっとあの場所にいる。CDPの近くには、荒浜小学校と海岸公園センターハウスの2つしかなくて、あとは貴田さんのCDPがあるだけ。 私は、CDPが貴田さんのアートピースだと思っているんです。震災っていう大きな出来事に対する作品。自分で自宅があった場所の土台を壊してランプを作ったり、自分でコンクリートを流したり。 あれから10年、今は荒浜も区画整備されて避難の丘ができたりしているけれど、貴田さんは本当に何にもない、どこから手を出していいか誰もわからないような状態の時から荒浜に向き合っている。CDPに対してはいつでもサポートしたいし、私がやれることは全部やろうと思っています。 だから、今回BGMのカバーイラストで、荒浜の何かをモチーフにしたい、と聞いて、「絶対CDPがいい!」って。BGMのメインの読者層を考えてもそうだし、ストリートカルチャーの拠点なので、桃ちゃんのイラストとも相性がいいと思った。
亀井 そうですね。私もCDPはずっと気になっていた場所で、ピーンときました。すぐに描きたいなって思いましたね。実際に訪れても違和感はなかったです。
―― 桃さんのイラストは、対象をそのまま忠実に描くというより、桃さんのフィルターを通して描いているのが強く伝わってきます。
亀井 それが絵の楽しさだと思っていますね。私の前にBGMのカバーイラストを担当されていて、大好きな漫画家の宮崎夏次系さんもそうなんですが、描く対象をインプットし、自分の世界とリンクさせてアウトプットされている。私のイラストを見てくれた人も、それに気づいてくれるんだなって思うからこそ、現地に訪れないと失礼な気がしています。
音に、期待しすぎない
―― 今回桃さんのイラストとコラボレートした那美さんの楽曲『Lily Yeats(リリー・イエーツ)』の制作プロセスを伺います。まず、印象的なのが、仙台市営地下鉄の構内アナウンスですね。
佐藤 アナウンスは、地下鉄東西線の仙台駅から荒井駅までを、地下鉄に乗りながらレコーダーを回して録音しました。時期は、緊急事態宣言の自粛期間が明けて6月くらいで、感染症対策のアナウンスも入っています。 自粛明けのタイミングの自分の他に誰も乗っていない電車でレコーダーを回しながら、自分は一体どこに向かっているんだろうって不思議な感覚に陥って。
―― 終着点がないような?
佐藤 そうですね。コロナウィルスの影響で、昨年3月に予定していたアイルランド行きがなくなってしまい、「わ〜どうしよう」っていう気持ちの中で過ごしていたので、向かう先がないような感じですね。
曲名のLily Yeatsは、アイルランド出身の女性刺繍作家の名前をお借りしました。由来は……何でだろう、行きたかったんでしょうね、アイルランドに。「アイルランドにいるはずだったのに、なぜ仙台の地下鉄乗ってるんだろう?」みたいな。
―― 浮遊感のあるオリエンタルな音使いのメロディーは、フィールドレコーディングの後に考えたものですか?
佐藤 後ですね。基本的にフィールドレコーディングで録る音に対しては、こんなものが録りたい! などと期待しないようにしています。
亀井 邪念が入りますよね。
佐藤 そうそう、邪念が入るの。クライアントワークではなく、自分の作品として作る時は、期待しない様にしたいよね。
――『Lily Yeats』を聴いて、桃さんはどんなことを感じましたか?
亀井 曲を通して、那美ちゃんの聴いている音や感じている空気感、記憶みたいなものがああいう音になるんだろうなって思って。優しい曲だし、寂しさもあって共感できるというか。純粋にきれいな制作物だなって思います。曲と絵って近いものを感じているので、今回一緒にコラボできるのが単純に嬉しかった。
音楽を作るのも絵を描くのも、いい意味でも悪い意味でも心がすり減る部分があると思っていて、那美ちゃんの音楽も心をすり減らして作ったことが感じられるなって思います。
10年前、10年後
―― BGMの読者は、大学生・新社会人。人間関係や社会に、戸惑いや悩みが尽きない時期かと思います。お二人はいかがでしたか?
佐藤 私もそうだし、桃ちゃんもバンド活動で音楽をやってきている人だから、10代の頃のベースはライブハウスなんです。それこそ周りにはとがった大人ばっかりだったね。
亀井 ライブハウスの空気や周りの大人の感覚が土台だと、私も感じているな。今も音楽をやっている人たちとクリエイティブの相性が良くて、彼らの心意気が好き。パンク精神だし、ロックンロールだねって。
佐藤 ロックの曲じゃないけど、心の中で中指立てちゃう時があるのは、桃ちゃんも私も最初がライブハウスだったから。
亀井 今も仕事は、相手との関係などに対して悩みながらやっていて、真の強さがないと生き残れないんだなって痛感しています。だから私は、どのジャンルでも、服装とか見た目が違っていても、心の中で中指立てて戦っていける人が好きだなって思うんです。
佐藤 そうだよ。立てちゃうことがあってもいいんだよ。社会に出てすぐの時は、ジャッジの基準がないから何かにぶち当たると自分が悪いんだって思っていたけど、だんだん立ち向かうことができるようになってくる。そういう意味では、やっと最近タフになってきたかも。
―― 2011年から10年も経っていることに驚きます。当時、那美さんは20歳、桃さんは21歳。この10年を振り返って、ご自身の変化はどんなことですか?
亀井 当時より、今の方が地震に対して恐怖を感じますね。先日の地震も、腰が抜けてしまうほど怖かった。すごいパワーなんだな、地球って、と思いました。 先日、ちょうど東京の友人と電話で話していた時に、10年前の震災の話になったんです。改めて振り返った時に東京も大変だった。被害の差はあるにしても、みんなダメージを受けていたんだなって改めて思いました。
それから10年を経て、私は人と生きていきたいって思った。 今は、SNSなどでみんなが生きていることを確認しやすい時代。そういうのですごいパワーもらっているんだなって思って。私自身、生きていこうって気持ちが上がっていて、人を大切にしたいって思うようになった気がする。「みんな、生きようぜ」って思っているな〜。
佐藤 震災直後のことは以前もお話しましたが、私は、10年前って生きるのに必死で、まだ物心がついていなかったんです。今は、3歳くらい(笑)。 あれから10年。先日、3月11日に配信する「HOPE FOR project」のライブを収録してきたんですが、収録後にみんなで海に行ったんです。その日、宮城県内の高校は卒業式で、恐らく卒業式後の制服を着た男の子が砂浜に駆け出して行ったんです。その様子がまぶしくて、目が潰れるかと思うくらい!(笑)。 東日本大震災に8歳だったあの子達が、今、18歳。彼らに10年があったように、私にも10年があった。20代は自分が生きるのに必死で、自分のキャリアを追いかけてきたけれど、今、30歳になって、下の世代のことを考えるようになりました。 これから先の10年、砂浜の彼らが28歳になった世界を考えるんです。仙台のクラブ界隈だけを切り取っても男性社会だから、10年後に、女の子が活動しやすい世界を作れたらいいなって。そのために自分に何ができるかを考え始めましたね。
亀井 希望を作っていたいよね。
佐藤 とにかく私も桃ちゃんも、ロールモデルがない中で藪をかき分けていった感じ。
亀井 がさがさ! がさがさ! ここだな! って(笑)。タフだよね。 現代面白くなってきていると思うけど、その分生きにくさを感じている子たちもいる。「枠にはまらなければいけないことはないんだよ」って、嫌な言い方ではなく伝えられたらって思いますね。
佐藤 桃ちゃんも私も手抜きをしないでやってきて、10年。 クリエイティブな表現活動をする下の世代の子達が、そういう人たちのコミュニティの中に入って行けたり、勉強できたりする土壌づくりは考えていきたいし、作っていきたいですね。
【亀井桃×佐藤那美コラボレーションの楽しみ方】
亀井桃さんの3月のカバーイラストは、BGMのトップページ、カバーイラストページからご覧いただけます。
佐藤那美さんの「BGM of “BGM”」は、BGMのすべての記事上で流れています。
記事の下部の黒い帯、「BGM of “BGM”」の再生マークをONするとお聴きいただけます。
亀井桃
宮城県出身。絵を描いています。ゲーム、漫画、好きです。 フリーのイラストレーターとして、イラスト/ロゴデザイン等幅広くお仕事しています。 https://momo-kamei-1.jimdosite.com/
Nami Sato / 佐藤那美
1990年生まれ。サウンドアーティスト。宮城県仙台市荒浜にて育つ。活動拠点を仙台に置き、フィールドレコーディング、アナログシンセサイザー、アンビエント、ストリングスなどのサウンドを取り入れた楽曲を制作している。東日本大震災をきっかけに音楽制作を本格的にはじめる。2013年、震災で失われた故郷の再構築を試みたアルバム “ARAHAMA callings” を配信リリース。2015年3月11日から毎年、母校である震災遺構荒浜小学校での「HOPE FOR project」にて會田茂一、恒岡章(Hi-STANDARD)、HUNGER(GAGLE)らとライブセッションを継続している。2018年 “Red Bull Music Academy 2018 Berlin” に日本代表として選出。2019年、ロンドンを拠点とするレーベルTHE AMBIENT ZONEよりEP “OUR MAP HERE” をリリース、BBC等多くの海外メディアに取り上げられる。2021年3月31日、最新フルアルバム “World Sketch Monologue” をリリース予定。 https://soundcloud.com/om73