「あくび」新田浩秋さん・祐子さんご夫妻
——あの時、あの場所で出会ったのが、君で本当によかった。
そう思える〈出会い〉は、人生にいくつあるだろうか。
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料理の道との〈出会い〉
仙台市青葉区文化横丁に建つ、白い壁の小さな店構え。木の扉に、ゆるやかな字体で店の名前が書かれている。
「 “あくび”という名前の通り、みんなが気負わずゆったりした雰囲気にしたい」そんな想いで営む新田さんご夫妻のお店は、18年目になる。
「文化横丁に来る前に宮町で店をやっていたこともあるので、独立して商売をやりはじめて25年になりますね。」
ゆったりと丁寧に言葉を選びながら話す、親方の新田浩秋さん。お店の雰囲気はまさに浩秋さんの空気感そのものだ。
新田浩秋さん(以下、浩秋) 生まれは宮城県美里町です。地元の高校に通って卒業して、大学は秋田経済法科大学(現ノースアジア大学)で経済を勉強していました。卒業後は食品メーカーに就職して茨城に行くことに。
最初の就職先については、あんまり深く考えてなかったかな。あの頃は社員を大人数募集していたんですね。私がいた営業所はまだ新しいところだったから、お客さんもまだそんなにいなくて空く時間がいっぱいあったから、飛び込み営業をやったりして、新規開拓で表彰をされたこともあったんですよ。そのまま会社にいても良かったんだけど、勤めてみて、営業する立場として、もうちょっと売れる商品を作ってくれればいいのにな、なんて思ったりして。じゃあ作る方に回ろうと思い、23歳の頃仙台に戻って来て、バイトをしながら調理師学校に通うことにしました。
当時バイト代が10万円、学費が5万円、アパート代が2万円。残りの3万円でなんとか生活していて。調理実習で一食、バイトで一食、食べられたから生き延びていた。朝学校に行って、終わったらバイトに行って、ほとんど家にいなかったからね。お金もないし、今更親に出してもらうわけにはいかなかったし、あの頃が一番大変だったかな。
黒板に書かれたメニュー。季節限定が解けてレギュラーメニューとなった「特製モツ煮込み」は、お客さんの言葉をそのままもらって「限定解除」と呼ばれている
浩秋さんが料理の道に進んだことを、当時周りにいた人達からは「まさか料理をやると思っていなかった」と驚かれるという。
浩秋 調理師学校に行っても、最終的にプロになるのは3%くらい。私も3年くらいは辞めたくてしょうがなかったんだけど、なんか悔しくて辞められない。「悔しかったら何とかして作ってみろ」って言われるんだけど、全然知らない専門用語がいっぱい出てくる。自分の中ではこの辺まで出来るようになるまでとか、色々葛藤があったんですよね。
専門学校卒業後、最初は居酒屋で何年か、その後小料理屋に移って5年くらい働きました。大体のことを任せてもらえるようになってきた頃、あるカニ屋さんから声がかかった。ふたを開けてみたらその店、魚をおろせる人もいないような状況だったんです。それでもその店で8〜9年働いて、そろそろ料理を戦力的に上手くこなせる場所はないかな、と思っていた時に、ホテルの調理場の仕事を見つけ、鳴子のホテルへ行くことにしました。
仕事ができる“寄せ集め集団”で
居酒屋、小料理屋、かに屋で、着々と料理の腕をあげてきた浩秋さん。経験を積み、自信をもって臨んだはずの新しい職場は、想像のレベルを超えていた。
浩秋 今はもうそのホテルは無いのですが、当時ホテルの名前が変わって立て直しをはかるタイミングで、料理長があらゆる現場から人を呼んできた“寄せ集め軍団”だったんです。私の料理の腕前は二番手くらいかな〜と思っていたら、技術的にも一番下っ端で、「なんだこれ!?」って感じ。俺よりも年上の人が多くて、みんな仕事ができて、すげぇ職場だなと。
“寄せ集め” 当時の仲間を思い出しながら、浩秋さんは愛情を込めてそう表現するが、むしろ一流の腕を持つ“選りすぐり”のメンバーだったといえるだろう。料理の世界で“仕事ができる”とは、どういうことをいうのだろうか。
浩秋 まず、料理長が出す献立を見て、この料理長はどんな風に料理を作って、どこにこだわりたいんだろう、というポイントがわかること。全部を質問するわけにはいかないし、ポイントをわかっていないと要点を聞けないですしね。
最終的に献立を作るのに使える時間も限られているし、全体を見られる人。あとは、手早さなど、仕事をしていればわかります。
調理場は、味付けを担当する「煮方」、揚げ物を担当する「揚げ場」、焼き物を作る「焼き場」など、それぞれポジションが決まっているんですね。「煮方」はお店の味を決めるところなので、出来ればそこを担当できるようにならないとな、と思っていました。でも、最初に担当した「盛り付け」も重要。監督が料理長だとしたら、「盛り付け」担当は野球のキャッチャーみたいな存在。ここがちゃんと注文できないことにはだめですから。
手際よく自分の担当をやって、遅れているところを手伝いにいって、そうやって次の仕事を取っていく。その中でチームワークが生まれてくる。面白い戦いではありましたね。
夢を追いかける渦中での〈出会い〉
料理の仕事に真摯に向き合う浩秋さんの姿勢が伝わってきたところで、奥様との出会いは……と水を向けてみた。
すると、「鳴子のホテルに行ったら、この人がいたんですよ(笑)」と、少し照れながら祐子さんを指差す浩明さん。「こっぱずかしいよ〜」とチャーミングな笑顔を見せる祐子さんは、鳴子のホテルで仲居さんとして働いていたという。
祐子さん(以下、祐子) 出身は仙台の南小泉です。高校卒業後はOLをちょっとだけ。じっと座っていられなくてすぐ辞めて、その後はずっとアルバイト生活でした。花屋、服飾の営業アシストもやりました。そんな時、仙台に「Afternoon Tea」が新規オープンしてそこのスタッフとして働き始めました。当時、あのような雑貨屋さんが仙台になかったので、飲食店をやっている方もシンプルなグラスやお皿を買いに来ていたんですよ。いろんな方が来ていたから、そこから交友関係もすごく広がった。働いている人も個性的で、いろんなことに興味を持っていて、料理をやりたい人、写真や物書きをやりたい人など、すごく刺激的な職場でした。
元々ものを作ることが好きだったこともあって、高校の時、学校の先生に美術系の大学を受けてみたら、と勧められたりもしたんですが、その時はあまり考えていませんでした。その後「Afternoon Tea」時代にいろんな人から刺激を受けたこともあって、また勉強し直してみようかなと思ったんです。行きたい学校もあったし、実家からも逃れたかった。でもお金がない。ある程度引越し代を貯めなきゃいけないし、仙台にいると交友関係も増えたから遊んじゃう。これは誰にも会わない隔離した環境に行かないと! そう思って求人情報を探していたら、住み込みの仕事で「仲居さん」を見つけて。そうして働き始めた鳴子のホテルの調理場で働いていたのが親方だったんですね。
祐子 仲居さんと調理場の人たちでは勤務形態が違うんですよね。調理場の人たちは早めにあがるけど、仲居さんは朝お客様をお見送りしてちょっと休んで、夕方から夜にかけて働く。でも、調理場の人たちがものすごい遊び人で。仕事終わった後いつ寝てるんだろうってくらい遊んでいる人たちだった。車で遠出もするんです。
浩秋 みんな仲が良かったんだよね。フロントの人に「あなたたち一体いつ仕事してるんですか?」って言われたりしたなぁ。仕事が終わるや否やすっといなくなるから要領が良かったんでしょうね。夕飯の支度をしてから朝ごはんを食べて休憩に入るんですが、そこから夕方までの時間、遊びに行っていたんですよ。
祐子 私は20歳そこそこで一番若かったから結構ちやほやされていたんです。ご飯を奢ってもらったりしてみんなで遊んでいました。
親方と私は9つ歳が離れていて、遊び人の軍団の中では、一番真面目そうで優しそうだったし、実際、親方は真面目な人でしたよ(笑)。あとはとにかく暴れん坊しかいなかった(笑)。
当時のことを楽しそうに振り返りながら話す祐子さんの横で、浩秋さんがおもむろに膝を打った。
浩秋 思い出した! 社員旅行でバスが一緒だったんだ。そこで仲良くなったんだな。この人、階段使わないし、全然歩かない人だなって思ってた(笑)。
祐子 何それ、歩いてたよ(笑)。
黄色いタオルの合図
祐子 人の多い職場に住み込みで、なかなか二人きりで話す機会や飲みに行ったりすることもしづらかったから、色々“合図”出してましたね。
浩秋 あぁ〜。まだその頃は付き合っていない頃だったね。
祐子 仲居さんは仕事からあがるのが遅かったから、調理場の人の方が先にあがっているんだけど、親方は夜食を出したりするのに一人遅くまで残っていることもあったんです。そこで会えればご飯に行きますか、とか話たりできますけど、先に帰る時は、黄色いタオルを分かるところにかけてあるんです。「ここに黄色いタオルをかけておく時は、俺は下で車停めて待ってるから」って。今日はタオルが無いからいないんだ、とかね。そうやって、なんとか二人で会う時間を作っていましたね。
浩秋 携帯もメールもない時代だからね。
祐子 鳴子は本当に狭いからすぐに噂も広まる。いかに極秘に会うかが大変でした(笑)。
急激な追い風、抗えない流れ
仲居さんと料理人。それぞれの仕事の中で制限も多い中、仕事仲間からパートナーとなっていく過程が、それぞれの人生の転機につながっていく。
祐子 私は体調を崩して早めに仙台に帰って来ることになり、行きたかった学校にチャレンジしました。でも失敗。そこで、以前花屋で働いていた時期もあったので、その時の感覚を戻す為にお花のスクールに通い、そのスクールをやっているお店に拾ってもらいました。個人的に非常に気になっていた店で、社長のカリスマ性が素晴らしいお店。大変勉強になりました。
そして、その時に住んでいたのが、親方が使っていない仙台の部屋でした(笑)。
浩秋 私は鳴子に住み込みでしたが、仙台の部屋は残しておいた。1年ともたずにホテルは解散して、仙台に戻るしかないんだけど、部屋にはこの人がいるんですよね(笑)。
祐子 だって使っていいっていうから(笑)。
浩秋 酔った勢いでいいよって言ったんだよ。まさか鍵を要求されると思わなかったから。このやりとりは付き合う前だったけど、実際に鳴子から仙台にこの人が帰る時には、付き合うってことになっていたのかな(笑)。
鳴子のホテルが解散し、浩秋さんが秋保のホテルで働き始めるタイミングでお二人は結婚した。トントン拍子に進んでいるように聞こえるが、祐子さんは当時をこう振り返る。
祐子 私は若かったこともあって、絶対結婚しないし子どもも作らないって決めていました。それなのに、付き合い始めた時から急激な追い風っていうのか、抗えない流れを感じていたんですよね。あんなに結婚が嫌だったのに、何ですることになったんだろう、って。自分でも不思議なんですけど、親方だからだったのかな。
浩秋 俺は結婚しようと、言おうと思っていたわけではなかったんだけど……
祐子 こっちとしては、どう考えてるのかな? って気になって。結婚がないならないで、私はいつでもさよならできますが? くらいの感じ。若かったし、しっかり向き合ってお付き合いしたこともなかったから、この状況ってどうなんだろう? って。そしたら親方が「じゃあ結婚しましょうか」って。
あ、そうだ、その前に私、家出しようとしたんだよね。もうだめだ、逃げようって思って。そしたら見つかって捕まって……
浩秋 だって、夜中に出て行こうとするから。行くところもないんだし、「今はだめでしょ、そんな重いものをもってどこに行くの? 朝にしてくれ」って(笑)。
祐子 その後、お腹に子どもがいることがわかるんですけど、逆算するとそのやりとりの時既に子どもがいたことになるんで、あの時止めてくれていなかったら私はどうなっていたのやら……
浩秋 当時、料理の道は、独立して自分の店を開くか、ホテルの料理長になるか、どっちかだったんですよね。私はお店をやりたかった。でも、子どもが生まれたばかりだったから迷いはあったんですよね。
ホテルでの仕事は安定していたし、給料も良かったから、独立の道を周りは大反対していたんだけれど、鳴子のホテル時代の料理長は賛成してくれたんです。
「だめだったらまた戻ればいいんじゃないの?」って。そしてもう一人、この人(祐子さん)だけは、「いいよ、やりたかったらやったら?」の一言。「えぇ〜いいの? 子ども生まれたばっかりだよ」って。
祐子 板前の世界は縛りが多く、しがらみもあって苦しそうだなと思っていました。自分もどこかに所属するのが苦手な方だったし、貧乏になることは怖くはなかったかな。なんとかなるんじゃないっていつも思うんですよね。
お二人が夫婦になって今年で25年。一番上のお子さんが現在25歳。
そして、浩秋さんが料理人として独立して25年が経った。
抗えない不思議な力が、お二人をここまで導いているように思えてならない。
変わったこと、変わらないこと
浩秋 時代が変わったのを感じます。宮町で店をやっていた頃は、私より年上のお客さんが多く、とにかくすごい量を延々と飲む。今は飲み方が変わってきていて、みなさんきれいに飲みますね。それと、気がついたら年上のお客さんが少ない。ほぼ年下のお客さんだな。
祐子 我々は体力がなくなったよね(笑)。昔ほどメニューを一新することはなくて、いつ来ても同じものが食べられる安心感を維持していますね。かっこいいものを提供しなくてもいいから、少し落ち着いたお店でありたい。お客様は割と一人でいらっしゃる方が多く、個々のつながりが深くなっている。お客さんが我々の子こどもたちの世代になってきているから、話を聞いていて、あぁ自分もそんなことがあったなぁ、愛おしいなって。なんとか頑張って明日会社行けよって思って見ています。
見届けてきた お客さん同士の〈出会い〉
「あくび」のお客さん同士で結婚したカップルも多いという。
祐子 お客さん同士がびびっときて、急にスイッチが入る瞬間を何度も見ています。男の子が本気になる瞬間ってこういう時なんだっていうのも分かる。後日女の子の方から、「こんなこと言われたんだけどどう思う?」って聞かれる時があって、そういう時は「ちゃんとマジで言ってると思うよ」ってアドバイスできる。
お店のイベントをする時に「あの子を呼んでください」と言われればなんとかするし、なるべく近くに座らせてあげたいと思いますしね。ちょっとしたアシストはしてあげたい。カウンターで一人ひとりとずっと話をすることは難しいから、横のつながりができるように、話を振ってお互い話しやすいようにしたり、帰りの方向が一緒だったら「一緒にタクシーで帰れば?」って言ったりとかね。
仕事のつながりができた方も多いですね。自分で何かやろうとしている子が一歩踏み出した時に、「こんなこと考えている子がいるよ、会ってみたら?」と繋げてみたり。
お店の雰囲気、料理、そして何より、浩秋さんと祐子さんが好きで「あくび」に訪れるお客さま。その時点で人が“厳選されている”といっても良いのではないだろうか。
祐子 お客さんに恵まれているなぁって思います。親方とはずーっと一緒にいるからしょっちゅうけんかしてるんですけど、それを仲裁してくれるのもお客さんだし(笑)。お客さんがいてくれればこそ話をすることもあるから、助かるんです。
浩秋 おかげさまでなんとか生き延びてこれた店です。
――あの時、あの場所で出会ったのが、君で本当によかった。
浩秋さんと祐子さんにとって、〈出会い〉はどんなものだっただろうか。
祐子 自分の人生、こんなに人と関わると思っていなかった。自分が相手を受け入れると、相手も受け入れてくれるようになるんだなって、年々わかるようになってきた。
出会って、結婚して、よかったのかな?(笑)
浩秋 よかったんじゃない?(笑)
●浩秋さんと祐子さんの「小さな夜の音楽」は?
祐子 お店では、ビッグバンドジャズをよくかけています。お取引のある酒屋さんにとてもジャズに精通している方がいて、その方セレクトの曲は自宅でも結構聴いています。
昔は結構ハードな音楽が好きでしたけど、今は耳に残りすぎない、会話に集中できて、小さく流れているくらいがちょうど良い。
親方はフォーク世代なので、自分でも弾くんです。ギターもお店にあるので弾いてくれますよ。
浩秋 いやいや、ギターはうるさいからね(笑)。
あくび
住所 宮城県仙台市青葉区一番町二丁目3-37 電話番号 022-266-0604 営業時間 17:30~24:00 定休日 日曜・祝日 Twitter @Akubi_bunyoko Facebook @akubi.bunyoko
撮影 佐藤 陽友
アイネクライネナハトムジーク
■STORY
仙台駅前。大型ビジョンには、日本人のボクシング世界王座をかけたタイトルマッチに沸く人々。そんな中、この時代に街頭アンケートに立つ会社員・佐藤の耳に、ふとギターの弾き語りが響く。歌に聴き入る紗季と目が合い思わず声をかけると、快くアンケートに応えてくれた。二人の小さな出会いは、妻と娘に出て行かれ途方にくれる佐藤の上司や、分不相応な美人妻と可愛い娘を持つ佐藤の親友、その娘の同級生家族、美人妻の友人で声しか知らない男に恋する美容師らを巻き込み、10年の時をかけて奇跡のような瞬間を呼び起こす――。
(C)2019「アイネクライネナハトムジーク」製作委員会
■配給
ギャガ
■監督
今泉力哉
■音楽
斉藤和義
■出演
三浦春馬、多部未華子、矢本悠馬、森絵梨佳、恒松祐里、萩原利久、貫地谷しほり、原田泰造