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第十七回 「喜代乃湯」

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宮城看板放浪記
第十七回 「喜代乃湯」

 古き良き宮城の街並みをかたちづくっていた証。それは看板! 古くなるほど愛しさつのる。ライターりりっくれおなるどが、看板の声に耳を傾け一句したためる。今日も看板を求めさまよう、みちのく一人旅。今回訪れたのは、宮城野区小田原一丁目にある銭湯の「喜代乃湯」。

Apr 12, 2020   

 仙台駅前のAER西口側の裏から戦火に耐えた橋、「X橋跡地」を通り抜ける。本当は宮城野橋という名前があるのに、真上から見ると「X」に見える橋、そんなことから数々の小説の舞台になっている。国道45号線を小田原方面へ歩く。今野餅店のちょっと手前にある細い路地を左に曲がると見えてくる少し歴史を感じる佇まいのビルがある。

 「喜代乃湯」「スナック」「コインランドリー」? ビルには3つも表記がある。レトロな外観も気に入ってビルの中に入ったが、なかなか銭湯の入り口が現れず、ますます胸が高鳴る。ビルの奥まで進むとようやく青いのれんが見えた。銭湯好きの私は、中に入ってお話を伺う事にした。「こんにちは、看板について教えていただきたいのですが。」フロントに座っている奥さんに声を掛ける。すると「うちは看板が無いんです。それでも大丈夫かしら?」と奥さんが微笑みながら仰って、中に入れてくださった。

 昔は「喜代乃湯」という店名が道路から目立つように、大きな看板が取り付けられていた。7メートルはあったという長方形の看板は、老朽化し約10年前に取り外した。再度取り付けようと考えたが、東日本大震災が起きて断念したそうである。 看板がないため、今では口コミやインターネットの地図を頼りにお客さんが訪れるという。
 現在のご主人で二代目。奥様と娘さんと3人で切り盛りしている。ご主人は、高校や大学でレスリングに打ち込んだ元レスリング選手! その関係もあり、時折超有名なレスリングやプロレスの選手が銭湯を訪れることもあるという。

 創業は1929(昭和4)年、今年で91年目。現在仙台市内の銭湯は「喜代乃湯」を含めて4軒しかないというが、昔は100箇所近い銭湯が営業していた。
 最初は、小田原ではなく二日町に「白山の湯」という名前で初代のご主人が創業した。現在のご主人のお父様である。しかし、空襲の被害に遭い家も銭湯も焼けた。しばらく避難生活を送っていたが、たまたま今の場所で他の方が営んでいた銭湯だった「喜代乃湯」を施設ごと譲り受けないかと言う話を知人に持ちかけられ、1945年(昭和20年)頃、「白山の湯」から名前を「喜代乃湯」にして営業をはじめた。

 「喜代乃湯」は、二階に脱衣所があり、階段を降りて一階のお風呂に行かなければならない。階段でわざわざ降りる? なんだか不思議なこの形にとても魅力を感じ、裸で階段を降りる過程さえ愛おしさを感じる。当初は番台のいるごく普通の銭湯だった「喜代乃湯」は、現在のご主人が跡を継ぐと、途中から喜代乃湯ビルという、マンションと銭湯を兼ねたビルに建て替えた。その際、銭湯の二階に、当時は珍しかったサウナ専門店を作ったという。入り口は一階と二階に二つ。しばらくそんなスタイルで営業していた。だが、二階のサウナ専門店を利用するお客さんが減った事から、サウナを閉めて広い脱衣所に改装した。その為、入り口が二階にあり、二階の脱衣所から階段を使って下に降りなければならないのだ。

 ビルを建て替える時、現在のご主人は自分の想いを形にするため、独学で建築を勉強したそうだ。ご主人のアイディアが生かされた階段の手すりは木目が美しいし、見上げた天井やランプはなんだかアール・デコ建築みたいで興奮してしまう。

 階段を降りて浴場の引戸を開けると……! 艶やかなタイル貼りと、丸くてかわいらしい鏡、使い込まれて味のある蛇口が目に飛び込んできた。一見普通に見えたタイルの壁は、よく見ると模様が変わる騙し絵になっている。すごい! 興奮してしまう。

「レスリングやってたからね。レスリングで挫けそうになる事が何度もあったよ。けどさ、いつでも前向きな努力をして、新しい事にチャレンジしないと変わらないじゃない。そうやって戦ってきた。商売も同じ。親から継いだ物を大切にしつつ、新しい事を取り入れる。チャレンジする、そういう努力は続けています。」

そう仰るご主人が考えたという浴場のデザインや造りには、沢山の工夫が詰まっていた。今では娘さんにその気持ちを受け継ぎたいと、娘さんのアイディアを取り入れたり、娘さんご自身が新たなチャレンジすることもあるそうだ。

 普通の銭湯ではなく、お客さん同士がお風呂を通じて楽しいコミュニケーションを図れたら、そんな思いが込められて、「コミュニティーセントウ喜代乃湯」という名称にしたというし、番台ではなくフロントスタイルを取り入れたのもご主人曰く「喜代乃湯」が初めてなんだという。家族がゆっくり待てるように、広い待合室を設けているのも珍しい。待合室には、手作りのリースや、銭湯の雰囲気とはかけ離れたアートなゴッホのポストカードやインテリアも、心がこもっていて美しい。
「喜代乃湯」には、そんな「仙台初」がたくさん詰まっている。お風呂に浸かってゆっくりするだけではなく、壁の騙し絵を探したり、ゴッホを見つけたり、コーヒー牛乳を飲んだり、ここにはたくさんの発見に溢れていた。

 「喜代乃湯」には、様々な人が訪れる。一人でゆっくりお風呂に浸かりにくる人もいれば、交流を求めてくる人もいる。ここで風呂友達になったご年配の男性が、「じゃあまたね」と挨拶を交わす様子が温かい。「喜代乃湯」はやはり、心も身体も温まる「コミュニティーセントウ」だ。

今ではスーパー銭湯で珍しくないフロントスタイル。名古屋から訪れた学生さんは、ホテルに風呂はあるが、広い風呂に浸かりたくて訪れたそう。風呂上がりに飲むコーヒー牛乳が楽しみだという

「俺さ、手ぶらで来たいから貸しロッカー使ってるんだよ」常連さんらしき男性が話しているのを聞いて以来、貸しロッカーの存在を知った女性のお客さん。脱衣所にあるロッカーを借りて荷物を置いておけば、銭湯に手ぶらで通うことが出来る

広々として、清潔感のある脱衣所

階段を降りて風呂に向かう。天井に吊り下げられたランプは上品なデザイン。下から見上げてもとてもきれい

熱め、ぬるめなど、銭湯によって設定するお湯の温度は様々なんだという。「喜代乃湯」のお湯の温度は熱めにしてある。時間をかけてきれいに清掃されている浴場。「お客さんがいつも気持ちよく使える」そんなお風呂を心がけている

独学で建築を勉強したという現在のご主人のアイディアがたくさん取り入れられた浴場。よく映画で見るような銭湯の和風な印象ではなく、モダンで海外の建築みたい。壁の騙し絵は角度によって見え方が違う

壁には、ゴッホの絵のポストカードが無造作に貼られている。風呂上がりにコーヒー牛乳を飲みながら、銭湯でアート鑑賞ができてしまうのも「喜代乃湯」ならでは

ロッカーの上からにはゴッホの絵の切り抜きを無造作に貼ったダンボールが。ご主人の娘さんが遊び心でディスプレイしたという

休憩所では、創業当時から使われている渋い椅子に腰掛けて、家族や友人を待ちながらゆっくり休憩できる

10年程前まで、仙台市内に「喜代乃湯」の他、スーパー銭湯(現在は閉店)を営んでいた際にお客さんに出されていたビールジョッキ。お風呂を「おぷろ」と呼んでいるロゴは娘さんのアイディア


店名
喜代乃湯

業種
銭湯

創業年
1929(昭和4)年
アメリカで第一回アカデミー賞受賞式が行われる。
ミッキーマウスの短編映画『バーン・ダンス』が公開。

看板制作年
ビル名を掲げた看板とのれん共に、約48年前。

制作者
町の看板屋さん
お風呂に入ってコミュニケーションを図ってほしいという願いから、「コミュニティーセントウ喜代乃湯」という名称にしている。

素材
金属
(ビル入り口、タイルに直打ちされた看板)

自慢できること
新たな事を取り入れて長く続けてきた事。

看板メニュー
風呂


ここで一句

階段を降りて向かったお風呂でさ
今日もたくさん話そうよ
楽しくいい風呂入ろうよ
あったまろうよフロトモ(風呂友達)と

裸で階段を降りてお風呂に向かい、風呂友達とお風呂で温まったならば、心も体もぽっかぽかになる。

 
明日も看板を求め、みちのく一人旅はつづく。
 

喜代乃湯

住所    仙台市宮城野区小田原1-8-5 電話番号 022-256-5749 営業時間 16:00〜22:00      (日曜日は14:00~22:00) 定休日  月曜

※本記事は2020年3月上旬に取材したものです

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