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卵で家庭に笑顔を!
リブランディングに込めた思い

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竹鶏ファームの卵

有限会社竹鶏ファーム/
卵で家庭に笑顔を!
リブランディングに込めた思い

ハート型のとさかをつけたニワトリが、おすまししたり、こちらを見ていたり。「竹鶏たまご」のかわいらしいパッケージに、見覚えのある人は多いのでは。白石市で養鶏場を営む竹鶏ファームを訪ね、ブランドの生まれたストーリーを聞きました。

Feb 28, 2019       

人の心を動かす優れた仕事をしている方にお話を聞く特集 “お仕事の極み”

竹炭でおいしい卵、作っています
卵で家庭に笑顔を!
リブランディングに込めた思い


鶏舎はニワトリが快適な環境で過ごせるように配慮されている(写真提供:竹鶏ファーム)


卵を家庭の食卓に届けるまでの流れ

最初のブランド化
竹炭と運命の出合い

竹鶏ファームの前身「志村養鶏場」は1965年に創業。

順調に拡大を続ける中、悩みは鶏舎から近くの国道まで漂う特有の臭いでした。
試行錯誤の末、3代目の現社長・志村浩幸さんが出合ったのが竹炭。

さまざまな形状の小さな穴が無数にある「多孔質」という構造に、高い消臭・抗菌効果があると知り、94年からエサや飲み水等の浄化に活用しました。


「竹炭は地元産。飼料には竹炭の他に竹を粉砕した「竹チップ」も加える

効果はさっそく現れ、悪臭はぐっと抑えられました。
しかも多くのお客さんから「卵の生臭みが消えて、味が濃くなった」と反響があったそう。

「卵がおいしくなるのは想定外で驚いた」と話す浩幸さん。
「竹炭が鶏の体質も変えたんだ、とうれしかったですね」。

当時、卵は安売りが常識。
しかし、竹炭の付加価値は高いと確信した浩幸さんは勝負に出ます。
通常は変動する相場で決まる価格を自社で設定し、「竹鶏物語」と名付けて売り出しました。

1個あたり5~10円高くなった販売価格は、意外なほどすんなり受け入れられたそう。

「むしろ、取引先の飲食店や個人商店が進んで宣伝してくれて、ありがたかった」と浩幸さん。
「安いから」ではなく「おいしいから」買う、という価値観が浸透していきました。

「今思えば、最初のブランディング。当時はそんな言葉も使わなかったけどね」。

震災、そして
「竹鶏ブラザーズ」Uターン

浩幸さんには3人の子どもがいます。上の2人は2歳違いの男の子。
三輪車で鶏舎内を走り回って育ち、小学生の頃は炭焼きの手伝いも。

「でも、2人とも継ぐ気は全然ありませんでした」と次男で常務取締役の竜生さんが話します。
「親は好きなことをしろと言ってくれました。重い期待や責任を感じたことはなかったですね」。


「継いでくれとは言わないと決めていました」と話す志村浩幸社長(左)と、次男・竜生さん。

東京の大学へ進学し、給食関連の企業に就職。
しかし2年でUターンを決心します。

一つのきっかけは、仕事の商談でたまたま卵の話題が出たこと。
思わず実家の養鶏を熱く語った竜生さんは、自分がいかに卵の話が好きで竹鶏ファームを誇りに思っているかを自覚したそう。

「この商売がしたい、と。それに、いつも楽しそうに働いていた父を思い出して、一緒に働きたくなったんです」。

竜生さんが家業に入った翌年に、東日本大震災が発生。
竹鶏ファームは被害を受けたもののすぐに修復、再稼働にこぎつけました。

「毎日大勢の人が卵を買いに来て、お客さんなのに『ありがとう』って。心が震えました」と浩幸さんは振り返ります。
その声に背中を押されるように、避難所へも卵を配って回ったそう。
「食は命の源。このときほど、卵を作っていて良かったと思ったことはありません」。

竜生さんはこのとき、小さな企業の力は限られている、と感じたそう。
「だからこそもっと地域に愛され、つながりを広げなければと思いました」。

震災以降、同社はスローガンに「ありがとうの“わ”」を掲げています。
命と食の循環を通して、感謝の輪を広げることが使命になりました。

2012年、兄の竜海さん(現専務取締役)もUターン。
いよいよ「竹鶏ブラザーズ」による第二章が始まります。


大きな鶏舎をバックに、笑顔の皆さん

 

リブランディング
思いを「深掘り」

竜生さんは地元に戻ると同時に、県内の生産者を中心とした若手を横につなぐ「宮城のこせがれネットワーク」を立ち上げました。
若者が学びあい、刺激しあって地域の未来を作ろう、と呼びかけたのです。

ネットワークでの出会いや学びをもとに、竜生さんと竜海さんは自社の新たなブランディングに取り掛かります。

キャッチーなコピーと目を引くキャラクターを作るだけが、ブランディングではありません。
自分たちが大事にすること、目指すものは何か、それをどう伝えるか。
「約1年かけて、思いを深掘りしました」と竜生さん。

コンセプトの核として据えたのは「卵が家族を育む」。
長年家族経営で成長してきた自社の歴史や、卵を届けたいのは家族の食卓であること、おいしく健康にいい卵で家族を笑顔にしたいといった思いを重ねました。

デザインは、家族のごはんをまかなう「お母さん」をターゲットとして意識。
従来、宅配便を利用していた配達を、車にペイントを施し、自社便に切り替えることも決めました。

そして13年、ホームページやロゴ、パッケージ等を一新して「竹鶏たまご」がデビューしたのです。

意欲的な取り組みは広く評価され、平成29年度「食材王国みやぎ」推進優良活動表彰のブランド化部門大賞、さらに平成30年度「全国優良経営体表彰・販売革新部門」では農林水産省経営局長賞を受賞しました。


ハート型のとさかをつけたニワトリのパッケージがかわいらしい


自社便トラックには「竹」と「鶏」をペイント

卵は「手段」
目的は「家族の幸せ」

納入先の飲食店や商店がポスターやポップなどを使ってくれることで、「竹鶏たまご、いいね」「よく見かけるよ」と声を掛けられることが増えたと話す竜生さん。
自社便で届けるようになって、取引先とのコミュニケーションも深まりました。また受賞によってブランド価値が上がり、一層応援の力を感じるようになったそう。

「お店が広告塔になってくださっています」。
あれ、似た言葉をさっき聞いたような。

社長が昔手掛けた「竹鶏物語」のブランド化のときと同じですね、そう言うと、うれしそうに笑う浩幸さん。
でも「ブランド化は品質への責任を負うということ。あぐらをかいちゃいけないんです」と表情を引き締めます。

浩幸さんの口癖は「卵は手段にすぎない」。
卵を通して地域の家族の幸せを生み出すことが目的であり、卵を売って儲けることが目的になってはいけない、と。
その思いが次世代に引き継がれていることは、リブランディングのコンセプトを見て明らかです。
「伝わっていたんだな、って思いますね」としみじみ話す浩幸さん。

「もう任せられるね」。

家族経営だった養鶏場は、いまや約30人の従業員を抱える会社に。
「地域の雇用を増やし、地域とともに成長していきます」。
キリッと言い切る竜生さん。

竹鶏ブラザーズの丁寧な取り組みが「おいしい」と「ありがとう」の輪を広げています。


鶏舎の脇にある直売店


店内では生卵のほか加工品やスイーツも販売する
 

竹鶏ファームのスタッフさんに話を聞きました

佐藤 鑑さん / 営業部
入社3年目、営業を担当しています。
うちの商品は安くありませんが、品質と味に絶対の自信があります。特に生で食べてもらうと、良さが際立ちます。
思い出深いのは、飛び込み営業したラーメン店で契約をいただいたこと。その場で卵を食べて気に入ってもらい、本当にうれしかったです。
うまくいかず反省することも多いですが、めげずにプラス思考で乗り切るように心掛けています。
「失敗してもいい、何度でもチャレンジしなさい」と言ってくれる社長の期待に応えたい。今後は居酒屋やホテルなどでもっと使ってもらえるように、頑張ります。
 
 

赤渕 利恵さん / 広報・マーケティング室
食べることが好きで、一般企業に勤めながら食に関する活動に参加し、県内の生産者と知り合いました。
多くの若い担い手が、楽しそうに生き生きと取り組んでいることに心を動かされ、深く関わりたくなりました。
念願叶って、2017年に竹鶏ファームの広報部門へ再就職。私の使命は「竹鶏ブラザーズ」の熱い思いや商品の情報を発信することです。
フットワークを軽くし、取引先と本社との橋渡し役にもなりたい。
去年は「こども食堂」に卵を提供させていただく機会がありました。企業として地域に貢献したいという思いも、形にしていきたいです。

 
※こちらの記事は、2019年2月28日河北新報朝刊に掲載されました。
 

有限会社竹鶏ファーム

1965年宮城県白石市に「志村養鶏所」として創業し、2000年法人化。竹炭を飼育に活用したブランド卵「竹鶏たまご」の他、地鶏、加工品の生産から販売まで一貫経営を行い、宮城県を中心に全国の飲食店・ホテルなどで使用されている。 https://www.taketori-farm.co.jp

撮影 Harty(澤田 千春)

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