HOME  > LIFE & WORK > 映像ディレクター 高平大輔のものづくり
この土地で作る意味

LIFE & WORK

映像ディレクター 高平大輔のものづくり
この土地で作る意味

映像ディレクターとして活動する高平大輔さん。彼が作る作品に映る人々からはその人の「素」と「核」のようなものを感じることができ、多くの人からの反響を呼ぶ。これまでどのように過ごしてきたのか、高校から現在までの道のりを、学生ライター・早坂春音が聞いた。

May 29, 2019         

宮城県、松島の外れに住む音楽を作る大学生、早坂春音。
自分が思うかっこいい大人、なりたい大人。
大学生として、これからの未来に不安や疑問、そして期待を抱きながら、そんな大人たちと公開雑談。
では、いってきます。 

連載「あなたの話を聞きたい」第1回

映像ディレクター
高平大輔のものづくり
この土地で作る意味


 
僕と高平さんは大学の非常勤講師と生徒という関係。その頃からものづくりのことを教えてもらっていた。

僕が初めて見た高平さんの映像は、宮城県の風景の映像だった。その時に感じたことは、「僕の地元である宮城という土地にはこんなに綺麗な場所があったのか」という純粋な驚きと、映像として見た時に何か心が洗われる感じがした。

なぜこんなにも美しいものを生み出せるのか、ものづくりに対する姿勢や学んで来た事、大切にしている事など、その謎を解き明かすかのような、さまざまな物語をお聞きした。

 

光に出会う旅 宮城県 ロングバージョン

 

故郷で触れた映画と音楽
ものづくりの原点


 
早坂さっそくですが、高平さんに聞きたいなって思っていたことがあります。そもそも映像を始めたきっかけってなんですか?

高平映像に限らずなぜものづくりを始めたかと言うと、最初は一番多感だった高校生の頃ギターを買ったんだよね。

早坂えー! そうなんですか! 

高平海外の音楽が好きだったんだけど、その当時のメジャーバンドたちは髪逆立てて革パンにマッチョで派手なメイクして~みたいな、そういうのが苦手で。Nirvanaとかガリガリでボロボロのジーンズを履いた人たちが歌っているパンクロックやインディペンデントカルチャーとかに共感を持ったのが、何かをつくろうと思ったことの始まりだね。

音楽以外もさらにさかのぼると、自分の両親がやっていた食堂の隣に大きな映画館があって、そこに子どもの頃から出入りしていたから、映画を無料でたくさん観られる環境があったのね。

早坂無料なんですか?

高平隣の息子だったから(笑)。

早坂すごく良い環境ですね。
 

 
高平そうそう。父親も映画好きだったし、レンタルビデオ屋でマニアックな映画とか観て鍛え上げていたんだよね。中学生にしてゴダールの作品は大体見てるとか(笑)。
音楽と映画だけは、退屈な田舎で暮らしていたときの救いだったね(笑)。

そして地元福島の高校に進学したんだけど、そこがヤンキー高校なの。本当に剃り込みしてる生徒がいるんだよ、氣志團みたいな生徒が(笑)。その中で俺1人だけマッシュルームカットとかしてるんだよ(笑)。
 

 
早坂ははははは(笑)! 

高平君みたいなやつだったんだよ。派手なジャージを着ている中で一人だけ第一ボタン締めているような、浮いてたんだよ(笑)。

早坂そうなんですね(笑)。

高平だから俺が高校生だった20年以上も前に、ものすごいリーゼントとかアイパーの髪型している高校生の中で、俺一人だけモッズのミュージシャンを真似してマッシュルームにしていたの。逆にヤンキー校ではマッシュルームが脅威なの、あっちからすると。逆に呼び出されたりしたんだよ、生活指導の先生に(笑)。

早坂ヤンキーは呼ばれないんですね(笑)。

高平ヤンキーがスタンダードだから、ものさしが違うのよ(笑)。その時一番面白かったのは、母親も呼び出されて教師に「髪を切って来なさい」って言われて、でも母親も「ビートルズみたいで可愛いじゃないですか!」って教師に逆ギレして(笑)。

早坂ははははは(笑)! 
すごい高校ですね、基準がおかしい(笑)。

高平基準がおかしいの、ヤンキー校だから。

早坂……。(笑)
 

 
高平そう(笑)。でもすごく楽しかった、今までで一番面白い学校だった。
 
 

高校時代の恩師とPower Mac
ものづくりが始まるきっかけ

高平高校時代の恩師が和合亮一先生っていう教師をしながら、詩人をされている不思議な人で、ある時やっぱり生活指導中で怒られた時にデヴィッド・ボウイとか音楽の話で意気投合して仲良くなったんだよね。
俺が高校を卒業した後も詩人と教師をずっと続けていて、詩集が中原中也賞に選ばれたり頑張っているんだけど、この本は去年の山形ビエンナーレに先生が参加した時にもらったやつ。朗読のライブ後に急に渡されたんだけどね。(笑)
 

和合亮一詩集 (思潮社 現代詩文庫)
 
高平ものづくりのマインドを与えてくれたのは高校時代の和合先生との出会いが大きかった。先生が南相馬みたいな田舎で、今の時代的に言うと“現代アート”のイベントを主催してて、詩人の吉増剛造さんや現代音楽家の方々とお寺で詩の朗読や魅力的なパフォーマンスをしているのを見て「すごく面白いな」って思ったんだよね。貴重なものづくりのパッションを共有できる大人とはじめて出会った感じがした。

洋楽雑誌とかカルチャー系の本を読んだり、地元福島から仙台に通って田舎には無いユースカルチャーに触れたり、だんだんものづくりをやる人間になりたいなって思っていったんだけど……。

その時に和合先生からは「外の世界に出た方がいい」って言われるんだよね。



なんか甘酸っぱい話なんだけど……。(笑)

高校の卒業式の後に、俺はいつも通りにガソリンスタンドへバイトに行ったんだけど、帰りの夜道で和合先生にバッタリ会うんだよ。あっちは懇親会とかの後でほろ酔い、俺も「おー!先生!」みたいな感じ。その時に先生から「高平! とにかく作り続けろ!」って何度も言われるんだよ。それがあまりにもツボに入ったのか、高平少年は2時間ぐらい泣き続けんだよ。(笑)


 
高平何かをつくり続けるってことだけは、一貫性がなくても、ポジションが変わったとしても……とにかく新しいものとかドキドキするものを作り続けたい。その気持ちはブレないようにしたいなと思っていますね。迷いがあったとしても、つくり続ける人間でいたいですね。

早坂大事ですね。

高平それで俺が中三か高校一年くらいの時にPower Macってのが出始めたのね。iMacとかが生まれる前のブラウン管で……。

要は個人がパソコンを所有して何かものづくりができるって流れが出始めた頃で、自分もこの新しいMacを使ってなにかそういう世界に入り込める……。クリエイターになれるんじゃないかって思って。

高校時代にバイトで金貯めてMacを手に入れて勉強して、南相馬から仙台に出てデザインの専門学校に入った。そこから19歳の時に仙台の映像会社に勝手に面接に行って(笑)。新卒は入れないっていう条件だったんだけど……。

早坂それは、在学中にですか?

高平そう、専門学生時代に拾ってもらった会社が立ち上げ間もない頃のヴィジュアルスタジオWOWだったのね……。だから会社と青春時代を共に歩んだ時期だったね。


 
早坂WOWに入ってそこで映像に携わったんですか?

高平そうだね。会社に入って初めて映像ソフトを使わせてもらったのだけど、そこから自分で映像をつくりはじめたり。
アーティスティックな作品もすごく好きだけど、広告の映像で人や社会が動くってことが好きになった。広告をつくるってのが肌に合ってたと思う。
 
 

出会いの運の重要性
そこから生まれる自分

高平どんなに小さな市場でも、地元の仕事をして経済や文化がつくられていくってのが嫌いじゃなかったから、今もフリーランスでずっと仙台を拠点につくっているんだけど、
WOW立ち上げ時に自分の上司が「ローカルからグローバルでやる」というのを掲げていた。若かった頃はピンとこなかったんだけどね(笑)。


 
高平今も本当にローカルからグローバルっていうのを体現している人で、そういうクリエイターの手本になる背中がいたのも大きかったなぁと。

なるべく自分のやりたいことをやるというか、なんかまぁカウンターカルチャー的思考なんだろうね。「皆がこっち行くんだったら、俺はこう」みたいな。
東京ではなく、仙台でやるみたいな。


 
早坂そうだったんですね。

高平やっぱり出会いが重要で、そういう意味では自分はすごく運がいいというか。

面白い存在が集まる会社、恩師や仲間との出会いの運の良さが今の自分を作ってくれたと思います。だから君ともそういう意味で巡りあわせの運がいいよね。


 
早坂そうですね。

高平それも自分次第だけどね(笑)。

早坂自分も巡りあわせの運の良さを最近感じます。

高平自分の話ばっかりしちゃった。(笑)
カメラマンさん、あとでこの彼のノート、「越し」で撮ってあげて。(笑) 甘酸っぱいじゃん「BGM NOTE」って。(笑)


 
早坂今日の朝に急いで書いてきたやつです。(笑)

高平……。(笑)

早坂自分の作品とか何かものをつくる時、見る人に対しての考えとかはありますか?「見る人にこう思ってほしいからこういうのをつくる」みたいな。


 
高平あくまでも自分のベースは、やっぱり広告だったり商業のディレクターだと思ってるのね。
解決したい目標や、映像だと共有したい感情ってのがあってそれを伝えるためにつくってはいると思う。そして感情が共有されることで少しでも目標に近づいたり、課題解決の糸口になったりそういう事を考えている。

もちろん受け手も考えてるし、あと同時にクライアントだったりとか現場で汗を流してお金を生んでいる人たちのことを考えてたり。

早坂ものづくりする側の気持ちですか?


 
高平例えば過去に作った伝統工芸の映像は、撮影する職人さんのことを一番に考えていた。口数の少ない東北の職人さんが何か一番大切にしているものを伝えられたらなと思い、その人たちの大切にしてる気持ちや、何か言葉にできない奥に秘めた感情とかを自分なりに感じ取って「この人にとって一番重要なものってこういうことかもな~」って手探りで撮影していた。


手とてとテ -仙台・宮城のてしごとたち-より

早坂最後の質問になりますが、これからやりたいこととかはありますか?

高平やりたいことはたくさんあんだけど、教えらんないなー。(笑)


 
早坂あ、そうですよね。(笑)

高平中身は教えられないけど、何種類かあって……
。まず人との「出会い」によってやりたいことが増えていくってのがあるのね。

俺はあんまり器用な人じゃないので、クリエイターでなんでもできる人がいるけど、俺は基本的には企画・演出、編集しかしないのね。

だからこそ自分にない才能を持ってる人がいると「この人と一緒にこんな事をやったら面白いことできそうだな」とかすごい考えてしまう。


 
高平人やモノとの出会いによってやりたいことが増えていくってことがあったりするかな。
松島水族館の「Hello, Goodbye.松島水族館」っていうファンサイトを友人たちとつくったのも出会いがきっかけだったね。

松島水族館「Hello, Goodbye.」
 
たまたま水族館のスタッフと友人になって、閉館の話はだいぶ前から聞いてたんだけど、自分が子どもの頃にも行ったし、自分の初めての子どもとも通った場所がなくなるってのはすごいセンチメンタルな気持ちになって……。


 
高平それで自分のためにも水族館の思い出を残したいと思って、水族館スタッフの友人とクリエイターの友人たちでファンサイトをつくったんです。

撮影を頼んだカメラマンは寂しさと美しさが混在するような、言葉にできない気持ちを撮れる人で、その人に自分がモヤっと感じていた松島水族館の「なんとなくほっとけない愛おしさ」を探して撮ってもらった。手作り感溢れる館内やユル~い雰囲気、フランクフルトがチェック柄のトレイにポツンと置かれているのが可愛かったりとか。(笑) それはものすごく儚いんだよね。

世の中の経済の流れで言えば負けて消えるものなんだけど「それはダメなものなのか?」って言われたらそうではないと思っています。この時はそういう愛おしさみたいなものを作品で残したいなと思った。

ほっとけない小さな素晴らしさに出会った時、それを伝えたくてつくり出すという時はあるなぁ~。あとは内緒。これから作品に出るから。


高平さんがインタビュー時に内緒にされていた最新作。レコード針の「ナガオカ」の映像。高平さんが山形で出会った素晴らしい物語を映像にしたという
 
 

 


 「クリエイターはかっこいいものを作る」という単純すぎる自分のイメージを変えてもらった。何が一番大切なのか、それは人だ。自らの経験や影響は周りにいる人から得られるものであり、また自らが作り出すものは人に何かを伝えたり与えたりするためである。これから自分が何をするにも、何をつくるにも一生大切にしていきたい考え方になった。


高平大輔

   映像ディレクター、クリエティブディレクター。福島県南相馬市出身、仙台市在住。ビジュアルデザインスタジオWOWでキャリアをスタート、ディレクター月田茂に師事。  仙台・東京で活動する映像プロダクションに在籍していたが、震災をきっかけに新しい道へ。現在はフリーランスのディレクターとして活動中。企業のCM・PRなど広告のプロジェクトや、東北の自然やアート、地域の魅力を伝えるドキュメンタリー作品を金沢21世紀美術館や国内外のメディアで発表し続けてきた。  広告で養ってきた課題解決への姿勢と、人や土地へ寄り添う素朴な眼差しを通して、映像の企画・演出からプロジェクトの軸をつくるクリエイティブディレクションまで担当。  「ワケルくん」「サントリーBOSS」「手とてとテ」「Reborn-Art Festival」「BEAMS EYE MIYAGI」など様々な映像を手がけている。 https://www.daisuketakahira.com/

撮影 小畑琴音  タイトルデザイン 早坂春音

Posted in LIFE & WORKTagged , , , ,

pagetop