大蔵山が生んだ世界標準!世界的彫刻家 イサム・ノグチも魅了された
“伊達冠石”のブランディングヒストリー
人の心を動かす優れた仕事をしている方にお話を聞く特集 “お仕事の極み”
石への想いは子どもの頃から
―― 山田さんは高校卒業後、東京の大学で経営学を学ぶ傍ら絵を描くことに没頭されたそうですね。さらにロンドンに留学してデザインを学んだと聞いていますが、いつから石に興味を持っていたのですか?
この会社が伊達冠石を採り始めたのが大正時代。それから父の代である4代目の時に、石と関わる仕事を通してここでしかできない体験を広めたいと現在の文化施設をつくり上げた背景があります。僕はそんな環境の中で紫水晶を採りに行くことを遊びにしていたような子どもで、自然と石への興味が刷り込まれていった気がしています。小学生の頃には自分なりに岩石の研究をしていて、いろんな場所で石を採っては東北大学の教授を訪ねて「この石は何ですか?」って聞いていたくらい。教授も変わっている人で、その石をペロッと舐めて「これは鉄分が多いから○○石だね」なんて言われたり(笑)。かなり強烈でしたけど、その経験から「石って面白いんだな」と思うようになりましたね。

―― アートの道に進む時には、石を表現のツールにしようとは思わなかったのですか?
当時はバスキア※がすごく好きで、ああいうポップアートみたいなものを描いていたんです。直接石に結び付くことはなかったけど、昔から石の端材を見て面白い形だなって思っていた感覚が、絵にも直結していたような気がしますね。私はモチーフとなる形や色を見て、それをどうやって配置するのかを考えるが好きだし、その能力には長けていると思うんです。それは石でも同じことで、急にアイディアが湧いてきたりもするから一度置いた石でも何度も位置を変えちゃう。勝手にポンポン意見を変えるから、スタッフには「せっかくやったのに!」って思われていると思いますけどね(笑)。
※ジャン=ミシェル・バスキア。グラフィティ・アートで知られる、アメリカを代表するアーティスト

世界基準へブラッシュアップ
―― 以前は「山田石材計画」だった社名を「大蔵山スタジオ」と変えたのは山田さんだと聞きました。それにはどんな想いが込められているのですか?
2年前にミラノに行ったのですが、「山田石材計画」を英語表記にした「Yamada Stone Corporation」だとちょっと格好悪いなと思って。やっぱり人に何かを見てもらう時には、「お!」って思ってもらうことが大事だと思うんですよ。それで「大蔵山スタジオ」という社名に変えました。英語のStudio(スタジオ)には工房という意味もあって、ものづくりをしっかりと考えて世に送り出す会社を目指したいという想いを込めています。ロゴは、大蔵山にある施設を上から見た形を表しているんです。六角形は施設図書館の六角堂書庫で、丸い形は野外劇場。中央の絡まるうねりは、大地のパワーを表現しています。


石がいざなう
デザイナーとの出会い
―― 社名やロゴを変える前から、海外に向けた視点を持っていたんですか?
僕はむしろ最初から海外で展開していきたいと思っていたんです。こういうアート的なものは、海外の方が共感してもらいやすいんです。それから最初にミラノに行った時に、今の我々にとって大事な2人のデザイナーに出会ったことも大きいですね。一人はイスラエル出身のダン・イエフェ。もう一人は韓国出身の新進気鋭の若手デザイナー。どちらもデザインの分野で注目を集めている方々ですが、双方ともに伊達冠石の魅力に取りつかれ、その後、ミラノやパリの展示会へと結びついていきました。現在も素晴らしい展示会へのお誘いがあり、検討段階にあります。不思議な運命ですけど、なんだか石に誘われているようでした。
―― 2人のデザイナーと出会って、考え方が変わったり影響を受けたりしたことはありますか?
ダンを通していろんな方に出会えたことで、プロダクトに対する意識は高まったような気がしますね。彼の作品はすごく独創的なんですよ。石でもガラスでも、考えられないような作品をつくってしまう。あれは本当にすごい。ただデザイナーって、結構難しい要求をしてくるんですよね。「こんなのできるわけねえよ!」っていう(笑)。要求が想像を超えるという点では苦労は多いですね。
―― でも要求が難しければ難しいほど、それに応えたくなりません?
そうですね。彼がつくった伊達冠石のローテーブル(写真❶)があるのですが、表面はピカピカに磨き上げられていて、それが中段のところで石肌の表情が滑らかに変化していくんです。最初はその境界をはっきり表していたんですけど、ダンはそこに美しさを感じなかったようで。結果的に手作業で境目をぼかしていったんですが、やっぱりそうした方が美しくて、まるで雲海のような表情になりました。そうそう、日系アメリカ人のジョージ・ナカシマを知っていますか? 彼は家具デザイナーなのですが、木目を見てプロダクトをつくった人なんです。私たちもそういう感覚を持ち合わせた会社になっていきたい。作品をつくりたいから石を採るんじゃなくて、採れた石から何をつくるか考えていく。だから常に石と対話していますね。

地方からの発信がプレミアムになる
―― 丸森という場所で世界へ発信すること、歴史を継いでいくことはどのように感じていますか?
一般的にデザインは東京から生まれることが多いと思われていますけど、逆にね、こっちにいたほうが面白いような気がします。確かに東京にはいいものがありますし、いいものを見つける感覚やそれに投資できる資金力を持っている人も多い。でもこれからは、地方に根ざしたものを都会に伝えていくことのほうがプレミアムになっていくんじゃないかな。「金沢21世紀美術館」とか「青森県立美術館」などの素敵な美術館が地方にあったり、いろんな地方で芸術祭が行われていたりするじゃないですか。それって、そこに行かないと見られない景色とか魅力的なものがあるからだと思うんです。僕はここから発信していくということを変える気はない。むしろいろんな方に来ていただいて、この場所を基地のような場所にしたいですね。そして、大蔵山はやっぱり面白い場所だと思ってもらいたいです。

―― 4月には新入社員が仲間入りするそうですね。若い力を得てやってみたいことはありますか?
2人の新卒者を採用しました。2人とも会社のものづくりに共感して志望してくれました。
そしてこれは私の一つの夢でもあるのですが、もっと大蔵山のコンセプトを詰めた自社ブランド商品を開発していきたいですね。例えば石を削ったときに出る粉を使ってガラスをつくったり、山の土で布を染めて服をつくったり。山からいただいた恵みを住空間の中にもっと落とし込んでみたいです。本当に人をひき付けることができるものを、チームでつくっていきたいですね。
※こちらのトーク内容は、2018年2月28日河北新報朝刊に掲載されました。
大蔵山スタジオ株式会社
1887年創業の石材メーカー。伊達冠石の採掘業を起源とし、現在では作家やデザイナーへの原石の供給のほか、自らプロダクトやアートピースを制作。国内外の洗練された施設で伊達冠石を用いたインテリアが数多く採用されるなど、感度の高い人々を中心に新たな創造を生み出す姿勢に注目が集まっている。
https://okurayamastudio.co.jp
撮影 三塚比呂