能面と人形
武蔵坊弁慶(初代野川陽山作)
初代陽山が制作、彩色した頭で現在唯一野川家に残っているもの。
巨体の持ち主だったと言われる弁慶の頭は、他の人形の頭よりもひと回り大きい
北山氏は能面師と人形師、二つの顔を持つ。同じ木彫でありながら、能面と人形の頭(かしら)を彫ることは、まるで違うものであると言っていい。
能面とは主に能楽で用いられる面(おもて)で200種類以上あると言われている。白式尉(翁)や小面、般若(※)など、数々の面が能の曲目(演目)や流派によって使い分けられるが、これらの面は全て型として完成されたものである。つまり、作るべきお手本が存在する。
一方で人形は、伝統工芸としての系統や題材とする人物・物語に共通性はあるが、基本的には作家の持つ独自性によって自由に作り続けられてきたものである。これまでも、これからも、過去に作られていないオリジナルの人形が作られていく。
※白式尉・小面・般若 いずれも能に用いる面。白式尉は、能「翁」で用いられる専用の面。小面は、女性の能面の中で最も若い面。般若は、怨霊になった女性の面。角が生え、口が耳まで裂けている。
二代野川北山(のがわ・ほくざん)さん(以下、北山)
能面は、これを作る、ということが決まっています。素材は檜。小面なら小面、般若なら般若、室町時代から安土桃山時代に打たれた(作られた)名人の作を忠実に模倣することで、その伝統を継承していきます。もちろん、能面が持つ微妙な表情、笑みと悲しさが同居するような面は、単にコピーを作るというような作業ではできません。面が一つの命を持つように、能面師はその表情を彫り出していきます。
人形はそれとは真逆で、例えば新庄まつりの場合は様々な題材をもとに、その題材にふさわしい個性豊かな表情を作っていきます。素材は桐を使います。
私が人形の修繕をするようになったのは中学の頃で、最初は手足のひび割れている所を削って塗り(彩色)のための下地を作る作業でした。そして高校の頃から手足の塗りも任されるようになりました。
そんな説明を受けながら、人形が保管されている部屋に通される。そこには今年の新庄まつりで使われる頭と手足が整然と並べられていた。その数およそ100体!
間近で見て驚いたのが、その表情のバラエティ。静かで奥ゆかしい表情の頭もたくさんあるが、歌舞伎の隈取りが彩色された喜怒哀楽のはっきりした表情も多い。
新庄にある工房で補修を待つ頭と手足。
2018年の新庄まつりでここにある人形が全て使用される
北山
ここにある頭と手足は、これから補修・修繕を行うものです。ほとんどが初代と二代陽山の作ったものですが、私が作ったものもいくつかあります。最初に制作したのは「鎌倉権五郎景政」という頭です。
普通は人形制作の依頼を受けてから2〜3カ月で作るんですが、初めてということもあって、6カ月くらい掛けて作りました。ありがたいことに評判が良くて、何度も使って頂いています。今年も使いたいと言っていただき、うれしい限りです。
鎌倉権五郎景政(二代野川北山作)
15年前の2003(平成15)年に初めて北山さんが手掛けた新庄まつりの頭。
歌舞伎の演目「暫(しばらく)」で登場する人物
v
北山
頭の黒髪は全て人毛で、白髪やまつげなどには馬や狸の毛を使います。毎年、新庄まつりの数カ月前に、各山車の風流(※)が伝えられ、200体以上の人形の中からその風流に合わせた人形を選びます。
選び終わったら補修・修繕をしていくのですが、直したらおしまいではありません。隈取りなどを塗り直して、髪も全部結い直すんです。ですから同じ頭でも、その年によって全然表情が違うということもあります。歌舞伎と同じで、男性の頭が女方を演じることもあるんですよ。
※「ふりゅう」または「ふうりゅう」。新庄まつりでは山車の題材のことを風流と呼ぶ。
すごい形相で隣を睨みつける頭。
リアルにこんな風に睨まれたら逃げ出しそう
トラウマになりそうな般若の頭。
幼い頃、北山氏はこの部屋に入るのが怖かったとのこと
不思議なところから毛を生やす頭。
ちょっとユーモラス
憂いのある女性の表情も、鬼の形相も、繊細な筆使いが命
外国人かと思いきや、最遊記の孫悟空。
誰かに似ているような…
頭に使用される義眼。ガラス製で中は空洞。目玉の親父みたい
平面に描くのと丸いものに描くのとでは筆の運び方が異なる。
慎重に塗りを行う北山さん(写真提供北山さん)
北山
能面師・人形師は、彫りから塗りまで全部一人で行います。そして人形も能面も、塗りが命。塗りには特に気を使います。ほんの少しの筆使いでまったく表情が変わってしまいますから。日頃から丸いものに線を描く練習は欠かせません。
そして頭に合わせて、その人形が山車の上で演じるポーズに相応しい手足を選びます。手と足は、物を掴んでいたり、手のひらを広げていたり、色々ありますよ。
戸棚に収められたたくさんの頭と手。
じゃんけんができそう
修繕中の足。男性・女性で足の長さや肌の色も異なり、指の動きも様々
足を下から見たところ。四角く穴が空いているのは、角材を通して山車の土台に固定するため
工房には人形の小道具も。新庄まつりでは山車を飾る花以外、既製品は絶対に使用せず、小道具も全て地元の若連が手作りする
北山
しまってあるものも含めて200体以上あるんですが、それでもまだ「無い」表情があります。昨年制作した日蓮聖人の頭もその一つです。
これは、「蒙古襲来に対して日蓮聖人が必死に祈り、その祈りによってもたらされた暴風雨で元寇に勝利した」という物語の一場面で、日蓮聖人が必死で祈る表情、鬼気迫る表情を表現したい、と思いました。
それで、過去に作られたお坊さんの頭を見てみたんですが、だいたいお坊さんて優しい表情をしているんですね。で、無いなら作ろう、ということで大きく口を開けた、「喝!」と言っているような日蓮聖人の頭を作りました。
風流 元寇「神風疾風怒涛」の部分
落合町若連囃子:萩野囃子若連制作(2017年優秀山車)
この日蓮聖人を二代北山氏が制作した
この年は同じように口を開けた頭を2つ制作。
眉間に寄ったシワや口の開き具合を変え、表情にバリエーションが出ている
野川家四代目として、二代北山として
人形の頭を体に取り付けている様子。若連と呼ばれる方々と一緒に作っていく。この日は子どももお手伝い
北山
あるとき、ある町の倉庫から古い人形の頭が発見されたことがあったんですが、一目見て、初代陽山の頭だとわかったんです。130年もの間、新しい頭が作られ、補修され、飾られてきたわけですが、やはり野川家の人形の作り方、表情というものがあるんだと改めて思いました。
私も数年前から新庄まつりに自分の人形を飾ってもらえるようになりました。自分が作った人形を見て町の人が「来年もまたお願いしたい」と言ってくれるのは、本当に嬉しいことです。でもやはり、昔の人形と今の人形がまるで違うということではいけない、と思っています。
ありきたりな言葉かもしれませんが、伝統を引き継ぎながら、新しい挑戦もしていきたいと思います。これはやはり「野川家として人形を作っていく」ということなんだと思います。
取材の最後に、北山氏は初代陽山が制作した「芭蕉」の頭を見せてくれた。
芭蕉(初代野川陽山作)
北山
これは初代陽山が作った芭蕉の頭です。こんな頭を作りたいと、見るたびに思います。
優しく微笑んでいるようでもあり、厳しい目で何かを訴えているようでもある、様々な思いの込められた深みのある表情。この深さは、人生の深さ、人間の深さなんじゃないかと思っています。だから、仮に今の自分が寸法を全て測ってこの頭を再現しようとしても、もっと若い表情になってしまうだろうと、これまでたくさんの人形を見て、作ってきた今でも、やはりそう思います。
一生かかっても作れないかもしれないし、もしかしたら10年、20年後に作れるかもしれません。でも一つだけ言えることは「いくら作っても、これでいい」ということは無いということです。
芭蕉の頭は私にとって大きな壁ですが、これを超えられるように、これからも挑戦します。二代北山として、野川家の人形を作っていきたいと思います。
世の中には、例えば「江戸時代の山車」というものがある。大切に保管され、補修や修復を施された古い山車の価値は何物にも代え難い。
一方、新庄まつりの山車は、「優秀山車」に選ばれた3台を除き、祭りの次の日には解体され、次の年はまたゼロから作り直す。山車の上の人形は、何十年も前の人形と新しい人形が化粧をし、華やかな衣装を着て共に舞台を演じる。ベテランも新人も、舞台に立てば同じ演者として祭りを盛り上げる。
今回幸運にも人形に胴体を取りつける町の方々の作業風景を見ることができたのだが、そこでもまた、若い人と高齢の方が一緒に作業をしていた(そこには小学生くらいの子供の姿もあった)。古いものが守られ受け継がれながらも新しいものが加わるからこそ、新庄まつりには断絶がなく、260年以上も続いてきたのではないだろうか。
そして北山氏もまた、新庄まつりに新しい風を吹き込みながら、次の世代へと祭りと人形作りを引き継いでいくのだろう。
新庄まつり人形に体がつくまで
木材で箱型に作られた胴体に人形の頭を取り付ける
胴体に取り付けてある針金に手を固定
頭と手が付いた状態
麻紐を使って体に藁をつけていく
木毛(もくもう)と呼ばれる細いひも状のカンナ屑を使って肉付けしていく
これが木毛。ふわふわ
おしりにも詰めていく
その上からさらしを巻いたら…
胴体の完成。こちらに衣装が着せられ、小道具などが持たされる
山車に飾られた人形。
左の黄色い着物の人形(坂上田村麻呂が、上の写真の左の人形)
風流 「阿弖流為(あてるい)」:馬喰町若連制作(2018年)
女性の人形(右)は、立烏帽子鈴鹿(たてえぼしすずか)に
風流 「阿弖流為(あてるい)」:馬喰町若連制作(2018年)
風流 「阿弖流為(あてるい)」:馬喰町若連制作(2018年)全体
撮影 松村洋
※頭に塗りを施す写真は野川北山氏からご提供いただいた
<参考文献>
新庄市編(2006)『新庄市史 別巻(民俗編)』新庄市
野川陽山(2005)『新庄まつり山車人形図録』新庄まつり250年祭実行委員会
新庄まつり250年祭実行委員会(2005)『新庄まつり公式ガイドブック』大友義助監修,新庄まつり250年祭実行委員会
宇髙通成著,山形秀一撮影『能面の神秘 = THE SECRETS OF NOH MASKS : バイリンガル版』IBCパブリッシング
世阿弥著,野上豊一郎・西尾実校訂『風姿花伝』岩波文庫