人の心を動かす優れた仕事をしている方にお話を聞く特集 “お仕事の極み”
真面目に正直に作っています!
鮮度と原材料にこだわる絶品缶詰
「メイド・イン・石巻」の誇り
2013年完成の美里町工場。美しい曲線で、泳ぐクジラの姿を表現する(写真提供:木の屋石巻水産)
この日は「鯨大和煮」を製造中。手際よく切り身を詰め、ショウガの千切りをのせていく
ピッタリとスピーディーに詰める熟練の手作業が、おいしさの鍵(写真提供:木の屋石巻水産)
上質な材料で作られた自慢のたれを注ぎ密閉。次の工程へ
密閉された缶詰は釜に入れ加熱し中身が調理される(写真提供:木の屋石巻水産)
「豊洲に並ぶより早く缶詰に」
目利きと鮮度が命のスピード勝負
クジラの姿をイメージした工場。
澄んだ青空をバックに悠々と泳いでいるかのよう。
目の前に広がる一面の田んぼに、春、水が入った風景はどれほど美しいのでしょうか。
木の屋石巻水産の美里町工場には、毎朝石巻港で水揚げされた新鮮な魚が運ばれ、缶詰に加工されます。
取材の少し前、秋から冬に最盛期を迎えていたのは、種類豊富なサバ缶作り。
「缶詰作りは魚の買い付けから始まります」と木村社長。
全幅の信頼を置く買い付け担当者は、大きさや脂ののり、漁をした海域までチェックして競り落とすそう。
仕入れたらあとはスピード勝負。
市場の目と鼻の先にある魚町工場でカットし、氷水につけて鮮度を保った状態で美里町工場へ。
脂ののった大きな身を缶にぴったり詰めるのは、熟練スタッフの手作業。
醤油だれや味噌だれといった調味液を加えフタをして密封、缶ごと圧力釜で約2時間調理します。
こうして、早いものは当日の昼には完成。
「石巻のサバが日本の台所・豊洲市場に並ぶより早く、ウチでは缶詰めになっちゃう」と木村社長は笑います。
「魚の目利きと鮮度が命。これで、とれたてのおいしさが年中味わえます」
「クジラのおいしさを若い人にも知ってもらいたい」と話す木村社長
始まりはクジラの行商
地元の食文化を継承する
同社の創業は1957年。
クジラ漁が盛んで古くから鯨食文化が受け継がれてきた石巻で、行商からスタートしました。
やがて日持ちのする缶詰を製造するようになり、現在も看板商品の一つである「鯨大和煮」が生まれます。
独特の野性的な風味が、ショウガのきいた甘辛いたれとよく合い、人気を博しました。
「クジラは良質なたんぱく質が豊富で栄養価が高い。昔はどの家庭でも味噌漬けにして焼いたり、甘辛く煮たりして食べていましたね」と木村社長。
貴重で高価になった今も、石巻では、盆や正月にクジラの刺身でもてなす習慣があります。
その時期に合わせて開く直売会では、缶詰の他クジラの刺身を販売。破格値に設定した刺身は飛ぶように売れるそう。
クジラの食文化を未来へ伝えようと、最近ではカレーやアヒージョなど若者にも食べやすい商品を開発。
新たなファン層を開拓しています。
創業以来60年近く変わらない伝統の味とデザインの「鯨大和煮」は石巻と木の屋石巻水産の歴史
津波で工場全壊
「また作って」の声に励まされ
木村社長は東京の大学を卒業し会社員生活を送った後、Uターンし、2009年に入社しました。
当時、社長は伯父で副社長が父。仕事のイロハを覚え始めた矢先に東日本大震災が起きました。
「本社も工場も全壊し、経営陣は途方に暮れました」と振り返ります。
「でも私は若くて何も知らないがゆえに『再建しましょう』の一点張りで」。後になって前社長から「あのとき、それは絶対に無理だと思ったんだ」と言われた、と笑って話します。
津波にひしゃげて流された巨大な赤い缶詰型タンクや、泥に埋もれた缶詰を掘り出して洗う様子が報道されると、全国から支援が寄せられボランティアが集まりました。
多くが、もともと木の屋の缶詰の味を知っていた人たち。
「すごくおいしかったから」「また作ってほしいから」。そんな声が励みになったそう。
ラベルの剥がれた缶詰を、東京の取引先が商店街で大量に販売し「希望の缶詰」と呼ばれたエピソードは、よく知られています。
支援と励ましに後押しされて再建への道を歩み、13年、同社は津波被害の心配のない内陸に新工場を建設しました。
現社長が就任するのは16年のことです。
震災前からのファンには著名人も多く、再建後はそのつながりがさまざまなコラボを生みました。
日本を代表するベーシストの中村キタローさんが制作したテーマソング「木の屋のテーマ」や、タレントの篠原ともえさんがデザインを手掛けた「カレイのえんがわ」の缶パッケージ、松尾貴史さん監修・佐藤卓さんデザインの「鯨カレー」など、いずれも木の屋の缶詰が大好きな人たちが進んで協力を申し出た企画です。
縁がつながり、篠原ともえさんがラベルデザインを手掛けポップな缶詰が誕生した(写真提供:木の屋石巻水産)
従業員が一番のファン
作っているから良さが分かる
それほど人を魅了するおいしさの秘けつは、どこにあるのでしょう。
「何も特別なことはありません」とあっさり木村社長は言います。
「素材がすべて。とびきりいい魚を抜群の鮮度で仕入れること。上質な調味料を使い余計なものは入れないこと。それに尽きます」
魚は石巻港。
味噌と醤油は地元メーカーから。
角がなく深みのある甘さで選んだ鹿児島県・喜界島の粗糖。
添加物や化学調味料が極力使われていないことは、潔いほどシンプルな原材料表示で一目瞭然です。
たれは当日の朝に調味料を合わせて作るそう。
一日使い切りで「何日も寝かせたり、つぎ足したりしません。極上の素材を生かすにはこの方法が一番」。それに簡単で安上がりだし、と笑います。
インタビュー中、キャッキャと若い女性の声が響いてきました。
ちょうど昼休みの時間で、従業員の皆さんが休憩に出てきた様子。
「元気でしょう? いつもあんな感じです」と木村社長。
従業員の平均年齢は若く、20代が約2割を占めるそう。
「生の魚を扱うことが多いので、仕事は漁次第。時期によってはとても忙しく大変なこともあります。でもみんな、自社商品に誇りを持って働いてくれている」と目を細めます。
その証拠に、社内販売の売り上げが驚くほど多いとか。
自分たちが製造に携わる商品が、どれほど真面目に作られ、上質であるかを知っているからでしょう。
「うちの缶詰は石巻でしか作れない。故郷をこれほど誇れる仕事ができて、本当に幸せだと思います」。木村社長こそ、木の屋の一番のファンなのかもしれません。
サンマ、カキ、小女子(こうなご)など多彩な缶詰の他、クジラの刺身やベーコンも販売。直売所限定商品や特価品も見逃せない
品質は譲らない
地元と向き合って未来へ
これからの夢、未来の方向性を尋ねてみました。
「うちは地方の小さな会社。地道にきちんと、地元を向いて仕事をしたい」
迷わず答えた言葉は、これほど全国的に人気が高まっている今、少し意外に感じられます。
「そんなに広げられないし、実際大量には作れないんです」
例えばサバ缶の製造は、全種類合わせて年間150万個ほど。
製造時期が、サバの旬である秋から冬の数カ月に限られるため、これが限界だそう。
しかも、買い付け担当者が納得する魚が揚がらない日は仕入れない、というこだわりぶり。
冷凍ものは一切使わないので、完売すれば次の秋まで品切れ状態です。
「県内で食べてもらっておしまいって、それでもいいんです」と話す木村社長。
石巻以外ではほとんど販売しない限定品の「金華さば」シリーズもあるそう。
「地元を大切にしたい。それに、もしこれを目当てに県外から来てもらえたらうれしいですね」
聞けば聞くほど、おいしさの理由に納得。
そして地元宮城にこんな魅力的なメーカーがあることを、誰かに自慢したくなります。
あぁ、今すぐ炊きたてごはんにサバ缶のっけて食べたい!
高級ブランド「金華さば」の限定商品は、石巻地域のみで販売。「脂ののりがよく、雑味がない。絶品ですよ」と木村社長
美里町工場では見学通路からガラス越しに、缶詰ができるまでを見ることができる
クジラの部位を学べるパズルは従業員の手作り
魚の特徴や缶詰の製造方法をパネルで分かりやすく解説
※こちらの記事は、2019年3月31日河北新報朝刊に掲載されました。
株式会社木の屋石巻水産
1957年創業の水産加工品メーカー。クジラ、サバ、イワシなどの缶詰や加工品を製造する。宮城県石巻市に本社工場、美里町に見学のできる工場と直売所を構える。安心、安全な商品づくりは地元のみならず全国で多くのファンに愛され続けている。 http://www.kinoya.co.jp
撮影 Harty(川島 啓司)