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宮城の復興を推進する県職員のお仕事とは?

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震災復興推進課

宮城県震災復興推進課/
宮城の復興を推進する県職員のお仕事とは?

 2011年3月11日に起こった、東日本大震災。1000年に一度の災害ともいわれるほどの大きな被害をもたらした震災から、間もなく10年が経とうとしています。着実な歩みを重ねてきた復興。その推進力の一翼を担ってきたのが、宮城県震災復興推進課です。震災の記憶を伝え復興の道筋を示してきた同課の取り組みを、復興推進第一班の石濱秀平さんと復興推進第二班の菊池桃子さんに伺いました。

Aug 31, 2020   

人の心を動かす優れた仕事をしている方にお話を聞く特集 “お仕事の極み”

着実な復興の陰の立役者!宮城の復興を推進する県職員のお仕事とは?

宮城県職員のお仕事

 宮城県を支える仕事は、予算や経理などの内部的な業務の他、対外的な交渉や企画などを行う行政・一般事務職と建築や水産など専門性を生かした技術職など様々です。
 約3年を目処に部局をまたいだ異動があります。新たな地域や人々との出会い、様々な知識や経験を通じ、県民の生活に密接に関わり宮城に直接貢献できる仕事です。

宮城県震災復興推進課の様子。職員の皆さんはパソコンに向かい作業を行う。壁には震災復興に関するポスターが貼られている

「国への提言」で、
復興予算を確保!

インタビューに応える宮城県震災復興推進課復興推進第一班の石濱さんの様子

震災復興推進課復興推進第一班
課長補佐兼企画員(班長)
石濱秀平さん

 私の所属する第一班の主な業務は、復旧復興に関する国との調整と震災伝承の推進です。復旧復興の事業を進めるには膨大な予算が必要で、県の自主財源だけでは賄えません。そこで、被災地の実情を国にしっかりと伝えて、支援を求めていくことが重要になります。また、全国的に自然災害が頻繁に発生していますが、震災で甚大な被害を受けた県として、震災の記憶や経験を後世にどう伝えていくかが課題となっています。専門家のアドバイスを参考にしながら、今後の取り組みを模索しています。

 仕事のやりがいを感じるのは、国との調整で、私たちの要望が国の施策などに反映されたときですね。復興事業に必要な予算は黙っていても降ってくるわけではありません。確保するためには、県や市町村からしっかりと要望することが重要です。県内の復興の進捗(しんちょく)や課題を整理し、時には知事自らが国に対して要望を行うなど、復興事業の完遂に向けた予算の確保に努めています。

 震災から間もなく10年。記憶の風化が問題視される中、震災の伝承はとても大切です。将来、大規模災害が起こったときに、「一人ひとりのかけがえのない命を守るため」にも、震災の経験や教訓を後世に伝え続けていかなければなりません。専門家の意見や伝承活動団体の取り組みなどを参考にしながら、施策の展開を考えています。

宮城県震災復興推進課が発行する広報紙「NOW IS」と記録誌「みやぎ・復興の歩み」震災の復旧復興の現状を伝える広報紙や記録誌の企画発行も震災復興推進課の業務

 また、県職員も震災後に採用された人が全体の3割を超えました。当時活躍していた管理職の多くは退職しており、県としても、復旧復興の過程で得られた経験を次の世代へどう伝えていくかが課題でした。そこで、復旧復興にあたった職員、OBも含めて延べ1200人に3年かけてインタビューを行い、そのインタビューに若手職員が立ち会う機会を設け、現場の生の声を感じ、自分事として向き合ってもらっています。インタビュー内容は、報告書にまとめ県のサイトで公開する予定です。他の自治体にも参考にしてもらえるようなものを目指しています。

東日本大震災の復旧復興にあたった職員のインタビューの様子東日本大震災の復旧復興にあたった職員のインタビューの様子。マニュアルにはない現場の声を次の世代に伝える(写真提供:震災復興推進課)

 実際に東日本大震災を経験し、復興の推進にあたる中で思うのは、「災害はいつどこで起こるか分からない」。だからこそ、「災害が起きたときの対応」を日ごろから意識しておくことが大切です。災害が起こるのは、慣れた自宅や職場だけでなく、初めて訪れた出張先かもしれない。「ここで災害に遭ったらどうするか」という意識を常に持っておくことが防災・減災につながると思います。

 
 

震災当時は高校生
復興の歩みを伝えたい

インタビューに応える宮城県震災復興推進課復興推進第二班の菊地さんの様子

震災復興推進課復興推進第二班
主事
菊池桃子さん

 私が所属する第二班の主な仕事は、被災者支援に関する調整と、復興に関する広報活動です。今でも県内外で避難されている方がいるので、その方の支援のために、各部局と調整を行っています。県外の避難者の方へは、帰郷のための支援制度をお知らせするなど、“帰りたくても帰れない方”のお役に立てるよう、業務にあたっています。広報の仕事では、復旧復興の現状を知っていただくためのポスターや広報紙『NOW I S.(ナウ イズ)』を制作しています。いろいろな方の目に触れるため、「見ているよ」と声をかけていただくこともあり、やりがいを感じます。「見られているんだな。ちゃんとしたものをつくらないといけない」と、気が引き締まる思いです。

廊下に飾られた記録誌「NOW IS」の写真震災復興推進課前の廊下には広報紙が並べられ多くの人に震災・復興の歩みを知ってもらいたいという思いが伝わる
 
宮城県震災復興推進課の菊地さんの横顔。原稿の確認を行っている広報紙の原稿確認の作業を行う菊池さん

 震災復興の現状をお伝えする上で気を付けているのは、ただ「被災地に来てください」では駄目だということ。復興復旧に向けての被災地や被災者の方の心の面、現状をまだまだ伝えないといけません。ただ明るい話題を伝えても駄目だし、「まだまだです」と暗くなるのも駄目。そのバランスが難しいと感じています。

 私は、震災当時高校生で、あの日は家族と避難所で夜を過ごしました。避難所で流れていたラジオからは沿岸部、それも小さい頃から遊びに行っていた場所で大きな被害が出たというニュースが流れ、ショックを受けたことを今でも覚えています。その後、山形の大学に進学しましたが、4年間仙台から通い、東京などの都市部に出て行ってしまう若者が地元にとどまるにはどうすればいいのかを研究していました。その中で、震災がきっかけで上京を考え直したという人もいることを知り、実際に私自身も「何かあったときのこと」を考えると、友人や家族と離れないほうが良いと思うのと同時に、生まれてから一度も仙台市外で生活をしたことがないので仕事を通して宮城を知っていきたいと思い、地元で県職員になることを志しました。

 震災から10年を迎える中で、私よりも若い世代では、震災について記憶にない人、知らない人もいます。このことからも、風化の防止は大きな課題です。そこをいかに伝えていくか、若い人にどう興味を持ってもらうかが大事だと思っています。その課題を、これからの仕事の中で取り組んでいければと思っています。

宮城県震災復興課の前で広報紙の『NOW IS』を手にする菊池さん4月から震災復興推進課に配属となった菊池さん。たくさんの人に見てもらう仕事にやりがいを感じているそう

震災復興推進課前は、
何してた?

様々な業種を経験する宮城県職員の皆さん。現在の業務に携わる前はどんな業務に従事し、異動となったときには何を思ったのかをお聞きしました。

石濱さん 震災復興推進課に配属になって2年目になります。それまでは、子育て支援の部局にいました。異動が決まったときは、「一日も早い復興の完遂のために頑張ろう!」と意気込みました。被災地の実情を国にしっかりと伝えていきます。

菊池さん 4月から震災復興推進課に配属になりました。それまでは県税の部局にいて、滞納となっている税の徴収を行う業務にあたっていました。異動が決まって、先輩から「多くの県民の方に見てもらえる仕事はなかなかないよ」と言われ、気が引き締まりました。被災地の現状と向き合うため、『NOW IS.』の撮影では自前のカメラでも取材風景を記録しています。

海を背景にカメラを構える菊池さんの横顔取材の際は自前のカメラでも被災地を撮影しているという

宮城県震災復興課の菊地さんが撮影した被災地南三陸の様子菊池さんが撮影した被災地の様子(写真提供:震災復興推進課)

 

9月1日は「防災の日」
問われる防災意識とは?

石濱さん 私自身、震災から3年くらいは防災リュックを用意していたのですが、今はおざなりになってしまっています。きっと、私のような方もいるのではないでしょうか。
震災から10年を迎えるにあたって、災害が起こったときに、家族と落ち合う場所を決めておいたり、準備できるものがあれば用意しておくと良いかもしれません。私も防災リュックを再確認します!

菊池さん 震災当時は母と家にいたので、一緒に避難所に行くことができました。でも、あの時に離れていたらと考えると、やはり普段から個々で避難経路を確認しておくことが大事だなと改めて思います。
市町村で公開しているハザードマップなどを見て、家族と話し合ったり、一人暮らしであれば「どう逃げるか」を確認しておくと安心だと思います。

宮城県震災復興推進課の皆さんの打ち合わせの様子

●宮城県震災復興推進課

 復興推進第一班、復興推進第二班、調整班の3班体制からなり、宮城県の震災復興の推進を担う。復興予算の要望の他、復興の様子や復興に向けて取り組む様子を「みやぎ復興情報ポータルサイト」や『NOW IS.』で発信を行っている。 みやぎ復興情報ポータルサイト https://www.fukkomiyagi.jp

※こちらの記事は、2020年8月31日河北新報朝刊に掲載されました。

※この記事の取材・撮影は新型コロナウイルス感染防止対策を徹底し行いました。

撮影 Harty(澤田 千春)

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