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「変えない」を守り継ぐプライド

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ふじや千舟の支倉焼製造の様子

有限会社ふじや千舟/
「変えない」を守り継ぐプライド

 口に入れるとホロリほどけるような食感と豊かなバターの風味、中はしっとりした白あんにクルミの香ばしさがアクセント。和と洋が絶妙に調和した仙台銘菓「支倉焼」。製造する有限会社ふじや千舟は、長年この商品一本で勝負しています。他の商品を作らないのはなぜなのでしょう。支倉焼の誕生ストーリーと受け継ぐ思いを、佐藤明子社長に聞きました。

Apr 30, 2020     

人の心を動かす優れた仕事をしている方にお話を聞く特集 “お仕事の極み”

看板商品一本で勝負!「変えない」を守り継ぐプライド

「誰も食べたことのないお菓子を」
支倉焼の誕生

 
焼きあがった「支倉焼」。クッキー生地に支倉焼の文字が浮かぶ
 「私が小さな頃、店の中に10人ほど座れる場所がありましてね。当時近くにあった宮城学院の宣教師さんや女学生さんたちが、おしゃべりしながらお菓子を食べていた風景をよく覚えています」。そう話すのは代表取締役社長の佐藤明子さん。大人っぽくておしゃれな「お姉さんたち」を憧れの思いで見ていたそうです。

 父の長清さんが、現在の青葉区中央にたばこ店「ふじや」を開業したのは1949年。戦地から戻り、空襲で焼け野原となった街で、自宅のあった場所に店を構えました。たばこの他に菓子類も扱ううちに「自家製菓子を売りたい」と考え始めた長清さんは、東京から和菓子と洋菓子の職人を呼び寄せます。明子さん自身の幼少期と重なるこの時期を振り返ったのが、冒頭の言葉。「上生菓子やどら焼き、クッキー、ロシアケーキ……。当時はまだ珍しかったお菓子もあり、賑わっていました」。
 
創業当時の味を守り続けている代表取締役社長の明子さん。若い人のチャレンジにも期待している

 商売繁盛だけに満足しなかった長清さんは、「誰も食べたことのないオリジナル菓子」を作ろうと決心。「せっかく和洋の菓子職人がいるのだから」と、和と洋を融合させたまったく新しい商品の開発に乗り出します。3年の試行錯誤の末にたどり着いたのが、洋風の皮で白あんを包み焼き上げた支倉焼。

 「試作品を作っては捨ての繰り返し。頑固気質がぶつかって、職人同士よくケンカもしたそうです」と明子さん。会心の新作は、数百年前に伊達藩の大使として欧州へ渡った支倉常長にちなんで名付けられました。東西を結び、時代を切り開いた故郷の先人の偉業を、戦後の高度成長期にふさわしい斬新なお菓子に重ね合わせたのです。
 
昔の本店を描いた絵画(提供:有限会社ふじや千舟)
 

今に続く決断
「他の商品を全部やめる」

 支倉焼はデビューと同時に飛ぶように売れました。手間暇かけて作るため製造数に限りがあり、品切れになることも多かったそう。そこで長清さんは大きな決断をします。それは、支倉焼以外の和洋菓子の製造を一切やめ、商品を一品に絞ること。機械導入などの効率化で製造能力を上げるのではなく、製造品目を絞って手作りを貫くことを選びました。1963年から現在まで続く「支倉焼一本」の歴史の始まりです。
 
粉ものをふるう工程も手作業。一つ一つの工程を丁寧に行う

 長清さんに迷いはなかったのでしょうか。「手が回らずぞんざいな仕事になることがあってはならない、と考えたようです」と明子さん。「メーカーにとって柱は一本がいい。案外スルッと決めたそうですよ」。ご自身は他のお菓子がなくなることを寂しく感じたのではと尋ねると、「私、支倉焼が大好きで、これさえあれば良かったの。365日食べるほど今も好きよ」といたずらっ子のように笑います。
 
生地をわける作業。柔らかい生地の扱いももちろん手作業
 

変わらない味のために守ること

 若くして他界した長清さんの跡を母の贇子さんが守った後、明子さんが社長に就いたのは2011年。今も、創業者の支倉焼への思いと、一つ一つ手作りの製造工程は変わらず受け継がれています。

 手作りにこだわる理由は「そうでないと作れないから」と明子さん。ホロホロと優しく崩れる食感を生み出す生地は、手でようやく扱えるギリギリの柔らかさ。機械ではうまくまとまらないそう。あんを包んだ生地を木型に押し込む成型も、手作業の繊細な力加減が要求されます。ちなみに木型は香川県の伝統工芸師がヤマザクラ材を彫って作る特注品で、職人一人に一本の専用道具。持ち方などの癖がなじむため、他の人のものだと使いづらいとか。
 
一人一人専用の木型。日々使用するため数カ月ほどで交換となるそう

 作り方も味も変えない――それは変化の激しい時代においてはむしろ難しいこと。明子さんには忘れられない「事件」があります。従来使っていたクルミが手に入らずやむを得ず品種を変更すると、常連のお客さんから「クルミを変えたのね。すぐ分かったわ」という言葉に、お客さんの愛情を感じると同時にメーカーとしての矜持を正されたような緊張感を抱いたそう。

 変わらぬおいしさを守るため、原材料はできる限り宮城県産、国産の上質のものを厳選。それは地元を愛した長清さんの強い願いでもありました。焼き上がりの食感の違いから小麦粉は外国産ですが、明子さんは「いつか国産小麦でこのサクサク感を実現したい」と話します。
 
一つ一つ丁寧にあんを包みこむ。手からの感覚でその日の生地の状態がわかるという
 

愛され育てられた銘菓を
日常の「おやつ」に

 他の商品も作ったほうがよいのでは、という意見が内外から出ることは少なくありません。「新しいものは古くなる。だからそのたびに話はします。しっかり検討した上で、今は迷いなく支倉焼一本なの」と明子さん。

 「何十年も食べています」という手紙。支倉焼のイラストに俳句を添えて送ってくれる人。子どもが大好きだからと、12個分の材料で作る大判の「特製支倉焼」を誕生日ケーキ代わりに買い求めたお母さん。結婚式の引き出物にと、名前入りの支倉焼を木型製作から注文したカップル……。変わらない味の熱烈なファンのエピソードは数知れず。中でもうれしかったのは、「支倉焼は作る人と売る人と買う人が、みんなで大切に育ててきたんだね。だから残っている」とお客さんが何気なくつぶやいた言葉だそう。「お客様に誠実に、変わらないための努力をしなければと思います」。
 
包装紙の文字は宮城の書道家が書いたそう。地元へのこだわりがあった初代の思いを感じる

 目まぐるしく変わる時代に生き残るためには、ただ同じことをしていればいいとは考えていません。贈答品や手土産としてだけでなく、いかに日常のおやつとして気軽に食べてもらえるか――この課題には、副社長の赤間博文さんが中心となり取り組んでいます。「家族だんらんの思い出の中にあるようなお菓子であるために、日々努力をしています」と話す赤間さん。その根底は、いつの時代にも世代を超え、安心して食べてもらえるお菓子になってほしいという思いから。「パッケージの工夫や、小学生向けに食育の体験授業、親子向けに手づくり体験イベントなどを開催し、若い世代が手に取り身近なお菓子と思っていただく工夫を行っています」。
 
「人の思い出の中に支倉焼があってほしい」と話す副社長の赤間さん

3個入りの商品はパッケージが良く、気軽に購入ができると若い世代にも好評だ

 そして、弱冠30歳の工場長など、若手の登用にも積極的です。「若手社員の創造力にもとても期待しているんです。社が一つになり、支倉焼を未来へつないでいくことを考えていきたいです」と赤間さん。「今の若い人たちは、志が高く人間性が豊か。といって生真面目すぎず、柔軟性が高い。面白いことをしてくれると期待しています」と明子さんが続けます。「会社という決まりごとのある世界の中でも、新しい発想で『実験』を仕掛けてほしい」。支倉焼の可能性が、若い世代の力で広がっていきます。

 

工場長は平成生まれ!

菅井香奈さん

 
 昨年、従業員の「総選挙」によって工場長に抜擢されたのは、平成元年生まれの菅井香奈さん。「周囲に支えられて、毎日がとても楽しい」と目を輝かせます。

 ふじや千舟を知ったのは、高校卒業を控えて「就職か進学か」と迷ったとき。何気なく見学した同社で製造責任者と出会い「かっこいい! この人みたいになりたい」と即決、職人の道へ。

 意気揚々と就職したものの、最初は「歴代もっとも出来が悪かった、と後になって言われるほど」悪戦苦闘。特に生地であんを包む「包あん」が難しく「向いていないと落ち込みました」。でも粘り強く教えてくれる先輩や上司に応えたくて、自宅でミックス粉と小豆あんを使い特訓を繰り返しました。「趣味のスノボに行ったときも雪を丸めて練習。寝ても覚めても包あん」と笑います。その甲斐あって見事に上達。人柄も買われて工場長に就任しました。

 社外での交流が増え、自社を見る客観的な視点が育ったと感じるそう。伝統の重みと責任を受け止めつつ、新しいことへのチャレンジにも意欲的。「そのために風通しよく意見の言いやすい職場環境を作りたい。支倉焼をもっと多くの人に食べてもらうために、できることはたくさんあります」。支倉焼の魅力をいかに広く伝えるか、仲間との奮闘が続きます。
 
愛子工場で働くみなさん。支倉焼の味を守る職人だ

 
※こちらの記事は、2020年4月30日河北新報朝刊に掲載されました。
 

●有限会社ふじや千舟

 たばこ店「ふじや」として開業し、1959年「有限会社ふじや千舟」を設立。宮城県仙台市本社。オリジナルの和洋菓子「支倉焼」を誕生させる。一躍人気となると商品を支倉焼一品に絞り手作りで製造販売を続け、現在も仙台銘菓として親しまれている。 https://www.fujiya-senshu.co.jp/

撮影 Harty(澤田 千春)

※この記事の取材・撮影は感染防止対策を徹底し3月に行いました。

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