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挑戦することを忘れない男性の、
「大切なもの」とは(前編)

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フランスの食文化を仙台に伝え続ける。
挑戦することを忘れない男性の、
「大切なもの」とは(前編)

フランスの食文化と、自然派の造り手が醸す「ヴァン・ナチュール」と呼ばれるワイン。その魅力を広めようと、料理人として、そして酒販店店主として活躍を続ける板垣さんのこれまでと今、そしてこれからを語ってもらった。この前編では、彼の出発点とオーナーシェフとしての軌跡、そしてヴァン・ナチュールとの出会いまで。自分のお店を開きたいと思っている方、必読だ。

Mar 31, 2018     

郷土色豊かなフランス料理とヴァン・ナチュールの魅力に惹かれて

板垣さんが考えるヴァン・ナチュールの条件に則ったワインと、ワインのある食卓を豊かにするアイテムが揃う『BATONS』

 

「食堂の息子」がフランス料理のシェフに

ライター佐藤(以下:佐藤)

フランス料理やワインは、高くて重くて難しい――。そんなふうに、板垣さんが最初のお店『ブラッセリー・ノート』をオープンさせるまで、フランス料理とワインはまだまだ敷居の高いイメージだったと思います。板垣さんの、レストランシェフとしての出発点はどこにあったのでしょうか?

『BATONS』オーナー板垣卓也さん(以下:板垣)

実家が食堂だったんで、物心がついた時にはすでに料理が身近な存在でしたね。小学生の時にはもう、親父の真似をして炒飯やラーメンを作ったりしていた。それで、自分の将来を考えるようになった時には、自然と料理で身を立てることに興味が向いたんですが、このまま単純に家を継ぐことは考えられなかった。やっぱり外の大きな世界を見てみたい、という気持ちが強くて。どうせならフランス料理を勉強してみたいな、と思ったんです。

佐藤

おうちの方は、何とおっしゃっていましたか?

板垣

祖父に「フランス料理の勉強をしたい」と言ったら、「日本でフランス料理を勉強するなら、大阪の辻調理師専門学校が一番だ」と言われました。理解のある祖父でしたね。でも、入学して間もなく祖父が亡くなり、「家を継ぐ、継がないは置いといて、とにかく仙台に帰ってこい」という親父の言葉に頷くしかなかった。それで、就職試験を受けて『ホテルメトロポリタン仙台』に入りました。ホテルの厨房なら、実践的なフランス料理を学べるだろう、と思ったからです。

 

2015年までの13年間にオーナーシェフとして3軒の料理店を切り盛りしていた板垣さん。
現在はヴァン・ナチュールと手作り惣菜、食卓小物などの専門店『BATONS』に専念

 

「今の君は、夢がない人と同じ」と言われて

佐藤

ホテル時代にはもう、いずれは自分のお店を持とう、と考えていたんですか?

板垣

うーん。漠然と、「自分の店を開きたい」という、ものすごく大雑把な希望だけがありましたね。今の自分ができることといえば料理を勉強することで、でもそれだけじゃだめだよな、といろんな店を食べ歩いたりバーでお酒を飲んだりクラブで音楽聴いて踊ったり。飲食に関わることは全部糧になるんじゃないか、って思っていました。そんな自分を見て、ホテルの先輩たちの反応はさまざまでしたよ。「遊んでばっかりいる不良だ」と見る人もいれば、「お前はいろんなことに興味を持って吸収していてすごいな」って言ってくれる人もいて。その時に僕を評価してくれた先輩は、今でも何かあれば僕を助けてくれる、恩人的な存在です。

佐藤

その中で、転機が訪れたんですね。

板垣

はい。今でも忘れられないある方との会話です。仲間が集まった飲み会に、その日はテレビ関係のお仕事をしている人が混じっていて、その方にふと尋ねられたんです。
「板垣くんはさ、夢ってある?」
「あります」
「じゃあ、その夢を叶えるために今、何をしている?」
「具体的には、何にもしていないですね」
「ふーん。そっか。じゃあ、夢がない、っていう人をどう思う?」
「いや、夢がないなんて、そんな人の感覚が分からないです」
「でもさ、板垣くん。君だって一緒だよ。夢に対して何もしていない人は、夢がない人と一緒だからね」
……そう言われて、何も言葉が返せなかった。「ああ、確かにその通りだ」としか思えなくて、自分の中のモヤモヤしたものの正体が分かった気がしました。21歳でしたね。そこから、本気でフランス料理に取り組む決心をしたんです。

佐藤

ホテルを辞めたのはそれから間もなく?

板垣

そうですね。ホテルの厨房は、その業態ゆえにフランス料理だけに専念することはできないので、まずは一度、自由に料理を創作できる環境に身を置こう、と。そしたら、「板垣くんの考えるフランス料理をうちでやってみなよ」と言ってくれた人がいて、その店のシェフとして厨房を任されることになったんです。

『BATONS』の壁には、これまで板垣さんの元を訪れ、夢を語り合った生産者や料理人たちのサインやメッセージが書き込まれている

 

バーの厨房で作る本格フレンチ、そして独立オープンへ

佐藤

スタイルはバーなのに、めちゃくちゃ本格的なフランス料理が出てくる不思議な店だったと記憶しています。

板垣

「料理は好きにやっていいよ」と言われたのをいいことに、ほんと好き勝手やらせてもらいましたね。質のいい白身魚をポアレして、本格的なブールブラン・ソースを添えて、それを500円のお通しで出していた(笑)。オーナーには「バーなんだぞ、原価高いよ」って怒られることもしょっちゅうでした。

厨房機器は限られているから超古典的なことをやろう、その範囲でできる最高の手段を取ろう、と思って料理をしていましたが、「これは勉強なんだ」というプレッシャーは感じなかったなあ。興味の赴くまま、やりたいことをやっただけ、というか。同年代の男の子たちがプレイボーイのグラビアを見ている横で、必死になって料理王国を読んで実践することが、本当にやりたいことだったから。

佐藤

最初のお店のオープンには、どういった経緯で至ったのでしょうか。

板垣

バーに勤めて丸3年が経った頃に結婚したのですが、奥さんが仙台駅前で『セレノ』という小さなカフェバーをやっていたので、「どうせなら二人でできる店を新しく始めよう」と。3年しか経験のない自分と店をやろうと決心した奥さんがすごいんですよ。彼女がいなかったら今の自分もいなかった。奥さんの方が経営者としても先輩です。

佐藤

そして、いよいよ最初のお店『ブラッセリー・ノート』がオープンしたわけですね。

板垣

2002年4月、僕の27歳の誕生日の4日後にオープンしました。……これは持論なのですが、オリジン(起源)とフォロワー(追随者)には決定的な違いがある。誰もやっていないことを始めた店に魅力があれば、それに続くフォロワー的な店が増えますよね。この時、大きく売り上げを伸ばすのは2番目に始めた店。頭がやわらかいし提案力もあるから、お客さんのニーズや都合に柔軟な人気店になる。けれど、10年後に残っているのは、自分のスタイルを貫いたオリジナルの店。世の中の飲食店は、ほとんどがそうだと思います。ぶれずに信念を通すことが、長く続く店づくりには絶対に必要。だから自分は、これまで仙台には存在しなかった「ブラッセリー」をとことん追求しよう、と思ったんです。

 

ショーケースには、最初の店である『ブラッセリー・ノート』時代から作り続けるフランス惣菜が並ぶ

 

「ブラッセリー」のオリジンをめざして

板垣

「ビストロ」の語源ってご存知ですか?

佐藤

いいえ。

板垣

「ビストロ」っていうのは、「早くしろ」っていう意味。フランスでビストロに行くと、壁が鏡なんです。ビストロは、早く料理を出して、早く食べて、食べたらすぐにその鏡でネクタイを直してさっと出ていくところ。だから料理は、構成に時間を掛けずに済むコース、いわゆる定食屋スタイルなわけです。そして「ブラッセリー」は、アラカルトが主体。僕は、フランスの田舎町にあるような、地元料理とワインをあれこれ気ままにオーダーしてゆっくり楽しめる本物の「ブラッセリー」を仙台につくりたいと思ったんです。

でも、最初は本当に大変でしたよ。それまで仙台では、ブラッセリー=ビアホール、という起源的な意味が強かったし、パテ・ド・カンパーニュやステーク・フリット、クスクスといった古典料理を提供している店なんか皆無でしたから。みんなに「潰れるぞ」って言われました。

自分でもやっぱり怖かったから、最初は保険をかけてパスタも出していましたが、そのうちブラッセリーと言う名前に惹かれてフランス人のお客さんが来てくれるようになった。そしたら、自分の作った料理を恥ずかしくて彼らの席に持っていけなくなっちゃったんです。だってパスタはフランス料理じゃないんだもん。フランス料理じゃないものを、本当のフランス料理を知っている人たちに「これがフランス料理です」なんてとてもじゃないけど出せない。だから、パスタをメニューから外しました。そしたら売上が半分以下に落ちましたけどね。「パスタがないなら帰る」というお客さんも一人や二人じゃなかった。でも、フランスの地方文化に基づいた料理を作ること以外、考えるのはやめました。本物のフランス料理を知っている人に「ここはフランス料理のお店だ」と認められない限り、フランス料理の看板を背負っちゃだめだと思ったんです。今考えれば、若かったなあ、とも思いますけど。

佐藤

しかしそんな板垣さんの姿勢を好きだ、と評価する人たちが増えて、『ブラッセリー・ノート』は人気店になりましたよね。

板垣

やっぱり、ぶれちゃだめなんだな、と思います。そして、「食文化としてのフランス料理をさらに広げるためにはどうしたらいいんだろう」と考えた時に、やる意味があると思えたのがカフェだった。カフェといっても、お酒を飲むことが主体のフランスのカフェ。ならばメイン料理はやはりガレットだ、と。

それが2006年にオープンした『カフェ・エ・クレープリーノート』です。これも最初は大変でした。お客さんは来てくれるけど、みんなクレープ1枚と1杯のお茶で終わっちゃう。いわゆる一般的なカフェの利用法でしか、受け入れてくれなかったわけです。それこそ、僕が「2番目の人間」であれば、許容して、融通をきかせてうまく立ち回れたんだろうなとは思います。

でもやっぱり僕がやりたいこととは違う、と思ったんで、夜の営業ではノンアルコールのお客さんを全て断ることにしました。当初はクレームも多かったですよ。でも、「うちはワインカフェですから」と絶対に折れなかった。それが気に入らないなら、来てくれなくても構わない。お店の根幹に関わることを曲げなくちゃいけないなら、そのお店をやっている意味なんてないんですから。

かつて『カフェ・エ・クレープリーノート』として愛され、『NOTE』へと進化した店を、2015年4月に『BATONS』としてオープン

 

ヴァン・ナチュールとの運命的な出会い

佐藤

『カフェ・エ・クレープリーノート』は、ガレットとワインを主体としたカフェ文化を伝える店であるとともに、ヴァン・ナチュールの魅力を意識的に紹介した仙台では初めての店でもありました。板垣さんとヴァン・ナチュールとの出会いは、いつだったんですか?

板垣

それはもう、大岡弘武さん。彼との出会いにつきます。2004年のある時、酒屋さんから「日本人の醸造家がフランスで造っている、おもしろいワインがあるよ」と紹介されたのが大岡さんの「Sc」でした。

2002年、シラーとカベルネ・ソーヴィニヨン(注)で醸されたそのワインは、日本に入った大岡さんのワインとしては初のもの。試飲しようと開けたら、その場にいたみんなが驚いた。しっかりとしたガスがあって、「何かの間違いなんじゃ?」と思ったほど。でも飲んでみると、すごくおいしい。……実は僕、フランス料理のシェフなのにワインが苦手だったんですよ。2、3杯飲むと具合が悪くなっちゃっていた。でもこのワインはたくさん飲んでも具合悪くならないし、翌朝の寝覚めもすっきり(笑)。不思議だな、と思いつつガスについて酒屋さんに尋ねたら、「酸化防止剤を使わず造っているんで、わざとガスを残しています」と。

調べてみると、彼のワイン造りは、酵母の添加をせず、酸化防止剤も使わず、ぶどう以外の一切のものを使わないで醸造するものだ、と分かった。「へえ」と思うとともに、「待てよ」と。じゃあ、そもそも今まで飲んでいたワインとは何なんだ、と。だってそれまで、ワインにはぶどうしか入ってないと思っていましたから。

よくよく調べてみたら、酵母を入れる、砂糖を入れる、酸化防止剤を入れる。それが一般的なワインと呼ばれるものだったんです。 翻って大岡さんのワインは、ぶどうだけ。だから僕にも飲めるんじゃないか、具合が悪くならないんじゃないか、と気付き、他にももっとぶどうだけのワインを探そう、と思ったんです。それが、僕のヴァン・ナチュールをめぐる旅の始まりでした。

後編に続く

 

ワインショップ&ビストロ,惣菜店
 BATONS

  できる限りぶどうの力だけで醸造する、ごく自然なワインづくりに取り組む生産者たち。オーナーである板垣さんは、彼らのつくるワインに共感し、大切にセラーに並べている。フランスの郷土色豊かな惣菜やチーズのほか、ワインのある食卓をより楽しくするテーブルウエアなども販売。 購入したワインや惣菜は店内で味わうこともできる(要抜栓料、18:00以降はワイン購入のお客様のみ店内飲食可能)。 仙台市青葉区上杉1-7-7 上杉ハイツ1F 022-796-0477 月曜・火曜 ワインショップのみ営業 15:00~21:00 ※予約の場合のみ店内飲食(角打ちビストロ営業)の利用可 水曜〜金曜 ワインショップ14:00~21:00 テイクアウト10:30~21:00 イートイン11:00~14:00(ランチ)、18:00~21:00(ワイン角打ちビストロ ※金曜は~23:00 土曜 ワインショップ・テイクアウト・イートイン15:00~21:00 ※毎月1日〜3日はワインの納品作業のため、曜日にかかわらず15:00~21:00の営業になる場合あり。 日曜定休 http://macuisine2002.com/

注:シラーとカベルネ・ソーヴィニヨン…ともにワイン醸造用に栽培されたぶどうの品種

撮影 はま田あつ美

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