FEATURE

青々とした茶畑に立つ日野社長と次女朱夏さん

有限会社ファーム・ソレイユ東北/
東北初の国産紅茶誕生ストーリー

 「北限の茶葉で紅茶を作ろう」。石巻市にある日本茶専門店「お茶のあさひ園」2代目の日野雅晴さんは、東日本大震災で全壊した店舗の再興にあたり「和紅茶」に目をつけました。紅茶の知識は未熟、ノウハウも工場もない、それでも成し遂げたい。それは震災の年、必ず戻るとの思いを胸に上京した次女・朱夏(あやか)さんへ引き継ぐための、渾身の商品開発でした。
 二人三脚で歩み、チャレンジを続ける父娘の物語を聞きました。

Jul 31, 2020   

人の心を動かす優れた仕事をしている方にお話を聞く特集 “お仕事の極み”

緑茶の紅茶がつなぐ夢東北初の国産紅茶誕生ストーリー

日本茶専門店が
紅茶を開発

青空と木々に囲まれた茶畑の様子。だんだんとなっている茶樹は青々としている。山間部の傾斜を利用した茶畑。茶樹は日々きれいに剪定(せんてい)されている

 石巻市桃生町の北上川右岸。砂利道の急坂を上りきると突然眼前が開け、まぶしい若葉色の茶畑が広がりました。北限のお茶といわれる「桃生茶」を生産しています。一番茶を摘み終え、きれいに刈り揃えられた木々が日光を反射してキラキラ輝いています。「茶の葉っぱがかわいくてしょうがないんだ」とほほ笑むのは、桃生茶を使って東北初の国産紅茶を開発した日野雅晴さん。日本茶専門店「お茶のあさひ園」を営む日野さんが紅茶づくりを手掛けたのはなぜだったのでしょうか。

茶葉を手摘みする日野社長kitahaの茶摘みは一般的な新茶よりも遅い5月から9月まで行われる

お茶の思いを熱く語る日野雅晴社長お茶の思いを熱く語る代表の日野さん

 お茶のあさひ園は、1972年、日野さんの父が創業しました。バブル経済の崩壊を経験し時代の流れを読んだ2代目は、日本茶だけでなく飲料・食品全般を扱う卸業へと商いを拡大。2003年に有限会社ファーム・ソレイユ東北として法人化しました。

 転機は2011年の東日本大震災。あたり一帯は津波で被災し、店舗も自宅も全壊の被害を受けました。当時高校3年だった次女の朱夏さんは東京へ進学が決まっていました。心を痛め上京をためらう愛娘に「若い時の経験は宝物。行きなさい」と両親は背中を押します。被災した近所の住人が食事の配給を待つ行列を横切り、故郷を離れた朱夏さん。「がんばれ」と温かく声を掛けられ、胸が締め付けられたそう。「この光景を忘れない、必ず戻って恩返しするんだ、と誓いました」と振り返ります。

石巻・お茶のあさひ園の外観。白い壁と黒い瓦屋根が青空に映えるお茶のあさひ園の外観

野点傘が飾られてある、石巻「お茶のあさひ園」の店舗の様子地元の人に愛されている、お茶のあさひ園店内の様子

 

「最高の茶葉」は
石巻にあった

 一方日野さんは、店の復活に奔走します。常に頭にあったのは「朱夏が戻ってきたときに夢中になれる仕事を生み出す」ということ。地元の復興の力になり、若者が魅力を感じるもので、他にない「オンリーワン」は何だろう……。全国の同業者に相談するうち、「和紅茶」と呼ばれる国産紅茶の人気がじわじわと上がっていることを知ります。「しかも、東北にはまだない。俺がやるしかないと思ったね」。

 地元には、昼夜の寒暖差と北上川から立ち上る「もや」が育む良質な桃生茶がある。これを生かして、被災した石巻から全国に元気を発信できるのではないか――そう考えた日野さんは、国産紅茶製造の第一人者である静岡県の村松二六(にろく)さんに熱い思いをぶつけます。
さらに、実際に茶畑を見てもらおうと交流のあった「鹿島茶園」のオーナー、佐々木浩さんのもとへ案内しました。畑を見た村松さんは「最高の茶葉」と太鼓判を押したそう。東北の寒さに耐えるためたっぷり栄養を蓄えて肉厚に育ち甘みが強いこと、全国的にも珍しい茶樹であることが、他の産地にない特徴として評価されました。

手いっぱいに抱えた「桃生茶」の茶葉石巻で育つ最北限の「桃生茶」は肉厚な茶葉が特徴

 「やれる!」と歓喜した日野さん。さっそく勉強し、開発に取り掛かりました。鹿島茶園の茶葉は自ら発酵する力が強く、紅茶への加工に適していることも、実現を後押ししました。地元に工場がないため、静岡で製造しようと決めたものの、課題は輸送。茶葉は鮮度が命で、時間が経つと発酵が進んでしまうため遠方への輸送に不向きです。何度も失敗を重ねた末、空調などを改造した自社車両で、摘んだ茶葉を自ら運搬することにしました。完成したのは開発を始めて3年後。えぐみの少ないまろやかな味わいと、優しい香りを持つ紅茶は、「北の茶葉」にちなんで「kitaha(キタハ)」と名づけられ、2017年デビュー。折しも、東京で学生・社会人生活を経験した朱夏さんが帰郷した2カ月後のことでした。

写真左が「摘んだ茶葉を車に積み重ねた写真。車は空調など改造した自社車」の様子右は「静岡の作業場」での様子①桃生で摘んだ茶葉は12時間以内に静岡に運ぶ ②茶葉に圧力を加えながらもみ込む作業(写真提供:有限会社ファーム・ソレイユ東北)
 

奮い立たせた一通のメール

 自信作を完成させた日野さんは、朱夏さんを意気揚々と迎え「kitahaを使ったお菓子の開発を任せる」と伝えました。すでに、仙台市産業振興事業団のビジネス支援を受ける段取りができており、朱夏さんは、企画やデザイン、フードビジネスの専門家らと作る開発チームに社の代表として送り込まれます。しかし日本茶の仕事をするつもりだった朱夏さんは、戸惑ったそう。「紅茶の知識もないし、プロの方に囲まれて自信がなく気後れしてしまって」。

 発言ができない自分に自信をなくして落ち込み、家族と心の距離も生まれ、東京へ戻りたいとさえ考えて悶々とする日々。暗いトンネルから引っ張り出してくれたのは、開発チームの一人からのメールでした。

 「朱夏さんの思いが置き去りになっていませんか。商品を育てていくのは、私たちではなくあなた。一緒に作ろう」

 「目が覚めました」と話す朱夏さん。「自分を見てくれている人がいたことに何より励まされた。生半可な気持ちじゃだめだと覚悟が決まりました」。このとき生まれたのが「東北生まれ紅茶のクッキー」です。

 この出来事によって意識は一転。主体的に関わり始めると仕事がどんどん面白くなり、地元にしっかり軸足を据えられるようになったそう。昨年は自ら考案したハーブミックスティー「kitaha-纏(まとい)-」が、仙台市産業振興事業団主催の「新東北みやげコンテスト」最優秀賞に選ばれるなど、活躍の幅も知名度も大きく飛躍しました。

「若い世代にお茶の文化を通して宮城の良さを知ってほしい」と話すお茶のあさひ園の次女・朱夏さん「若い世代にお茶の文化を通して宮城の良さを知ってほしい」と話す朱夏さん
 

オール宮城で
化学反応を起こせ

 自信がなく引っ込み思案だったわずか数年前の面影はなく、今ではkitahaシリーズの責任者として奮闘する朱夏さん。人前で熱く商品PRもできるようになりました。ゼロから一緒に成長してきたkitahaは「分身」、自分が生み出し育てた纏は「わが子」のように思えるそう。 自ら商品を開発し販売するという経験と、多くの出会いを経て、仕事に対する考え方も変わりました。「以前は自社だけで石巻を元気にしようとしていた。でも、宮城にはすばらしい企業や生産者さんがたくさんおられることを知り、力を合わせれば何倍も面白い化学反応を起こせると分かったんです」

 纏の開発にあたっては、kitahaと蔵王産ハーブのどちらの香りも生かすことを第一に考え、ハーブの種類を選びました。配合バランスは「夜な夜な実験を重ね、自分の舌で確かめてたどりついた」といいます。現在取り掛かっているのは、県内の農家とコラボするフルーツティ。kitahaと果物の風味を両方最大限に引き出すにはどうすればいいか。従来のやり方にとらわれず、製造法を模索しています。

 「新型コロナウイルスの影響が地域経済に重くのしかかっている今こそ、宮城を盛り上げたい」。熱を帯びる話しぶりからは、黙り込んで戸惑い取り組んでいたかつての姿を想像できません。「紅茶を通して宮城を輝かせるのが夢。石巻発の紅茶が全国区になり、さらに世界に通用すれば、石巻や宮城が日本の誇りになれるんじゃないかと思う」。

ファーム・ソレイユ東北がつくるkitahaシリーズ①琥珀色がキレイなkitahaの紅茶。パッケージのロゴは茶畑から昇る朝日がイメージされている ②kitahaシリーズは紅茶や緑茶の他、茶葉を使ったクッキー、琥珀糖、メレンゲなどがある ③蔵王町のハーブを使い朱夏さんが試行錯誤の末開発した「kitaha-纏-」。パッケージにもこだわりがある

お茶のあさひ園「kitaha」の美味しい淹れ方

今がつらい人は
痛みの分かる人

 日野さんはkitahaの未来についてこう話していました。「私がやるのはレールを敷くところまで。どんな列車を走らせるか、どんなお客さんを乗せるかは朱夏次第ですよ」。列車はすでにたくさんのワクワクの種を乗せて走り出している、そして未来のレールは朱夏さん自身が敷いていくのでしょう。

 「子ども時代から誰かと自分を比べてばかりで、劣等感の塊だった」という朱夏さん。若い世代へのメッセージを求めると、「今がつらいと思う人は、誰かの痛みが分かる人。苦しかった経験を生かせるときが必ず来るし、人生に無駄はないです」と、かみしめるように話してくれました。「スキルや知識は自信になる。得意なことや好きなことを、他人と比べず自分なりの方法で学べばいいと思います」

青々とした茶畑に立つ日野社長と次女朱夏さん日野さんと朱夏さん。石巻とお茶への想いがkitahaを誕生させた
 

北限のお茶
「桃生茶」を育てる

石巻桃生で茶畑を育てる鹿島茶園の3代目佐々木さんの顔写真
「鹿島茶園」3代目オーナー
佐々木浩さん

 桃生地区では藩政時代から茶栽培が盛んだったがその後衰退。
初代である祖父・佐々木忠さんが1960年頃に復活させた。「桃生の茶葉で紅茶ができるとは感無量。これからも地域の人たちと一緒に北限の茶葉を守っていきたいです」。

 
 

空に掲げた積立の茶葉。kitahaを通し、400年の歴史ある桃生茶とお茶の文化を若い世代に伝える

お茶のあさひ園を営む日野さんご家族左から日野社長、次女・朱夏さん、お母さまの笑顔の写真お茶のあさひ園を営む日野さんご家族。東日本大震災を乗り越えkitahaを誕生させた

※こちらの記事は、2020年7月31日河北新報朝刊に掲載されました。

2020年7月31日に河北新報朝刊に掲載された記事の紙面体裁

 

●有限会社ファーム・ソレイユ東北(お茶のあさひ園)

 1972年に日本茶専門店「お茶のあさひ園」創業。2003年に有限会社ファーム・ソレイユ東北として法人化。宮城県石巻本社。石巻産茶葉を使った和紅茶「kitaha」の生産、販売を行い石巻から全国を元気にすることを目指している。 https://r.goope.jp/asahien/

撮影 Harty(川島 啓司)

※この記事の取材・撮影は新型コロナウイルス感染防止対策を徹底し6月に行いました。
※茶畑の撮影は特別に許可をいただき撮影いたしました。一般の方の入園はできませんのでご了承ください。

Posted in FEATURE, 特集 お仕事の極みTagged ,
鶴岡彩
京都生まれ京都育ち。信州・松本で北アルプスを眺めながら数年子育てに専念、2005年から仙台でフリーライター。食、ものづくり、子ども、スポーツ、旅の周辺にいる人へのインタビューが好き。

pagetop

BGM of "BGM"

antennasiasan (vocal) とNerve (track) により1999年に結成。ブリストル・サウンド、ダブなどをルーツとする。アルバムごとに音楽性の幅を広げつつ、一貫して、sanのヴォーカルを軸としたトリッピーなサウンド/ベース・ミュージックを追求している。現在(2018年)まで、国内外のレーベルから、8枚のオリジナル・アルバム、3枚のリミックス・アルバムを発表。