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サウンドアーティスト・Nami Sato インタビュー
好きなことを、愛するために【前編】

 東北を拠点に、独自の音楽活動をつづけるサウンドアーティスト・Nami Sato。自身を“サウンドアーティスト”と名乗るまでを振り返ると、彼女が独自に切り拓いてきた一本の道が見えてくる。現在29歳の彼女は、どんな原風景を持ち、なにと向き合い、表現してきたのか。そして、その先にどんな景色を描こうとしているのか。
 前編・後編のインタビューから、その歩みをたどります。

Feb 25, 2020   

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Nami Sato=サウンドアーティスト

—— Namiさんは、現在の自分の仕事をどのように名付けていますか?

以前は自分のことを“音楽家”と名乗っていました。でも、“作曲家”とか“音楽家”って楽理とか研究のイメージが強くて。楽典を使って作曲するようなモーツァルト、ベートーベンみたいなイメージが“音楽家”にはあるって友人にも言われて。ああ確かに自分はそうじゃないなって思って、最近は“サウンドアーティスト”と名乗るようになりました。 日本では一般的に使われる“ミュージシャン”はなんとなく、シンガーソングライターのイメージがあるから、それもわたしにはあまりフィットしないな、と。だから、いま、しっくりきているのは“サウンドアーティスト”です。

©Naoki Hamada 

音楽以前の風景

―― 音楽に出会う以前、どんな風景のなかで過ごしていましたか?

3歳までは、岩手の紫波で育ちました。いまは開発されて新興住宅地になってるけど、あそこ全部田んぼだったんですよね。で、両親バリバリ仕事してたので、ひいおばあちゃんと母方の親戚のおばさんとおじさんに昼間、面倒みてもらっていたんです。それで、いまでも鮮明に覚えているのが、3〜4歳くらいのときに田んぼでひとりだけで草むしったり、ビービー弾を集めて遊んでたら、奥の畦道に白い人間みたいなのがゆらゆら踊っているのを見たんです。そのことがずっと気になっていて、16歳ぐらいになってインターネットで調べたら、「くねくね」っていう伝説があるらしくて。蜃気楼とも違って、真っ白い人がくねくね踊ってる。それで同じようなものを見た人が後に気がふれてしまった、みたいな話がたくさんネットにあがってて。岩手だし、「オシラサマ(『遠野物語』にも記された養蚕の神様)じゃないか」みたいな話も聞いたことがあって。とにかく、音楽以前の風景というか、すべての源になるようなところ。こういうところから物語や音楽が生まれくるんだなって思ったことがあります。

©Nami Sato 

幼少期―― キッチンや車のなかで聞いた音楽の記憶

―― 幼少期は、どんな音楽との関わりがありましたか?

横須賀出身の母はすごく音楽好き。米軍基地のラジオなんかを聞いて育った人で、スティーヴィー・ワンダー初来日ライブを観に行ったりとか、クイーンやスティングのライブにも行ってた。横須賀から都内まですぐ出られるので武道館公演とかもたくさん観ていたみたいで。「あっ、この人観に行ったよ」とか。アンダーワールドが出始めの頃とかにCD買って、ずっとキッチンでかけてたり。
あと、父が車でクイーンを流しているとき、わたしは、『We Will Rock You』に合わせて「テン、テン、パン!」って、助手席でずっとやっていた記憶があります。当時のわたしは『We Will Rock You』のことを「元気なお兄さんの歌」って呼んでいて、「元気なお兄さんの歌をもう一回聞かせてくれ!」って、運転する父によく頼んでいたみたいです。そんな風に、暮らしのなかで聞いていた音楽の記憶はいまでもあります。

 

©Nami Sato 

物心ついてから—ひとりで過ごしたたくさんの時間

―― 十代の頃、どんな風に過ごしていましたか?

小学校や中学校の頃、友だちがぜんぜんいなかったんです。当時のことを思い返しても、ひとりの時間がめちゃくちゃ長かったので、あまりほかの人の顔が浮かんでこない。「三つ子の魂百まで」じゃないけど、小学校の図書室で誰も読んでいないローマ/ ギリシャ神話を片っ端から読んでいたり。誰もいないところで、誰にも知られずに本を読んだり、音楽を聴いたりして過ごしてた。この“誰もいない風景のなかに自分ひとりがいる”というのが、わたしの根っこにある風景だと思います。

中学校自体も最後のほうあまり行かなくなって。吹奏楽部に入っていたから、高校でもそのまま吹奏楽部に入ってみたけど、吹奏楽の強豪校でもあったので、大好きだった音楽が、楽しいものから「競技」に変わっていって。それで部活は2カ月でやめました。

©Naoki Hamada 

音楽との付き合い方をさぐる日々

―― 吹奏楽部以外にも、音楽をつづける場所はありましたか?

ピアノを習いに6歳の頃から地元の小さなピアノ教室に通っていました。それで、テレビで当時、坂本龍一の『energy flow』がエネルギードリンクのCMで使われていて、「なんていい曲だろう!」と感動して。でも当時のわたしはまだ自由にTSUTAYAでCDのレンタルもできないし、YouTubeもないから、CMで15秒だけ流れるその曲を必死に聴いてました。そして、その15秒の前後を想像して、ピアノで弾いていました。楽しかった。そういう音楽との付き合い方が好きだなって。高校の吹奏楽部を退部したあと、バンドをはじめました。だから、部活は辞めても、音楽はずっとつづけていたんです。
 

孤独だった「あのとき」の自分に伝えたいこと

―― 人生で起点になった出来事について聞かせてください

3.11の震災を経験したとき、わたしは二十歳で、大学生でした。住んでいたシェアハウスの近くに川が流れていて、お気に入りの岩があって、そこに座って「これからどうやって生きていくんだろう」「家も流されて、故郷もなくなった」と思ったときに、これまで封印していた6〜7歳の頃の自分が出てきた。
6〜7歳の頃は、いろんなことを感じて、嫌だって思ったりいいなって思ったり、感動したりとか、すごくチャレンジングで多感な時期だった。でも、それを誰とも分かち合えないと思って、世界に対していろいろ感じ取ることをやめたんです。傷つくだけだから。そして、震災がおこるまでの十代から二十代にかけて、自分にめちゃくちゃいろんなことを課してきてたんですよ。「人は生きてるだけで、それだけでいいんだ」とかまったく共感できなかった。でも震災があって、全部なくなっちゃって、どうしようって思ったときに、また、6、7歳のときの自分が出てきたんですよ。それで、「この子と生きていこう」って決めた。自分が感じたこと無視するのはもうやめようって。 その結果、ベルリンに行ったりとか、こうやっていろんな人に音楽聞いてもらえたりとかしてて。
大きな出来事があったときに……ハッ! みたいな直感はただの思いつきの場合が多いけど、自分と超向き合った上での直感は、結構大事で。毎日、忙しいし、やんなきゃいけないことがたくさんあるけど、でも、大学生のときって自分と向き合うことができるチャンスでもあるから。世の中では、自分と向き合うってめちゃくちゃナイーブで、価値の低いことと思われていたりするけど、そんなことない。それは楽しいことでもあるんです。わたしも大学生のときに、めちゃくちゃ悩み抜いた。だから、自分が選んできた道が間違っていなかったのかもしれないなと、いまは思えます。

©Naoki Hamada
 
サウンドアーティスト・Nami Sato インタビュー好きなことを、愛するために【後編】
 

佐藤那美 / Nami Sato

サウンドアーティスト。1990年生まれ。宮城県仙台市荒浜にて育つ。活動拠点を仙台に置き、フィールドレコーディング、エレクトロニカ、アンビエント、ストリングスなどのサウンドを取り入れた楽曲を制作している。東日本大震災をきっかけに音楽制作を本格的にはじめ、2011年ミュージシャン七尾旅人主催のDIY HEARTSにてミニアルバムを発表。2013年震災で失われた故郷の再構築を試みたアルバム『ARAHAMA callings』を配信リリース。2018年“Red Bull Music Academy 2018 Berlin”に日本代表として選出。2019年ロンドンを拠点とするレーベルTHE AMBIENT ZONEよりEP『OUR MAP HERE』をリリース。2020年には、ハンガリーの“Ozora Festival”に参加予定。

撮影 濱田直樹

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清水チナツ
インディペンデント・キュレーター。1983年福岡県生まれ、仙台市在住。2011年から2018年までせんだいメディアテーク学芸員。2019年に志賀理江子、長崎由幹とともに仙台でPUMPQUAKES(リンク:https://www.pumpquakes.info/about)設立。2019年末に、民話採訪者・小野和子の単著『あいたくて ききたくて 旅にでる』(リンク:https://www.pumpquakes.info/aitakute)を刊行。

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antennasiasan (vocal) とNerve (track) により1999年に結成。ブリストル・サウンド、ダブなどをルーツとする。アルバムごとに音楽性の幅を広げつつ、一貫して、sanのヴォーカルを軸としたトリッピーなサウンド/ベース・ミュージックを追求している。現在(2018年)まで、国内外のレーベルから、8枚のオリジナル・アルバム、3枚のリミックス・アルバムを発表。