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村上淳インタビュー(後編)
好きな物事で遊び続けるためのアパレル業

 前編では、ムラジュンさんが俳優を生涯の職業として勤めていくという決意を固めた経緯を伺いました。俳優としてのお仕事は、現在も続けていることが証明しているように着実にキャリアを積み上げているかと思います。そして、今回は、もう一つの職業でもあるブランドデザイナーについて、そして仙台について聞いていきます。

Aug 30, 2019     

 

雑誌『ASAYAN』(ぶんか社)より

「村上淳インタビュー(前編)人間らしくあるための俳優業」はこちら

―〈仙台〉で育った人々に魅かれて―

聞き手 我孫子裕一(以下我孫子)
今回はファッションを含むサブカルチャーについての話を聞いていきたいです。

村上淳(以下村上)
それでいうと、まずは、12歳でスケートボード、17歳でDJ、どちらも同じように流行っていたって理由ではじめたんだよね。当時雑誌で提案していた服とかも、案外流行に乗っていて。僕はいつも流行りの最後尾に並んでいる意識があるんです。自分でいうのはおかしいけど、いわゆるムラジュン世代と呼ばれる30代、40代の人たちは「えっ」って意外がるかもしれないけど。

我孫子
その当時の最先端が生まれるリアルな場所に確実に巡りあっていたということですよね。当時雑誌を見ていた人の多くは、そんな場面に遭遇することもできなかった。今とは違ってタイムラグが相当あった時代ですからね。それでも、トレンドを生み出す人という認識をしている人が多いと思います。

村上
僕がラッキーなのは目黒にいて、例えば、スケートボードが流行れば、原宿でスケートボードを買えたんですよね。17歳でDJをはじめてレコードを買いたければ渋谷に行けばたくさんあったんだよね。それと、当時は、10万円あったら20万円分のレコード、20万円あったら30万円分の服を買ってました。その熱量でいくから流行りの最後尾に並んだとしても、追いついちゃうんだよね。だから自分のスイッチみたいのは、今でも信じてるというか。

我孫子
俳優の話でもありましたが、ムラジュンさんのなかでは、やはり〈熱量〉が大きなキーワードなのですね。

村上
10代って不思議よね。計算が合わないもん。当時はスケボーに多くの時間を費やし、あとはビリヤード、学校も行ってたけど、1日24時間じゃ足りないくらい遊んでたじゃない。10代後半になるとヒロシくんとも、ジョニオくん(高橋盾*¹)とも毎日遊んでた記憶があって、1日24時間をどうやってやりくりしてたんだろうって。

*¹高橋盾/ファッション・デザイナー

我孫子
10代の後半になると、DJのイベントで全国各地にも行ってましたよね?

村上
その当時、雑誌『宝島』の連載から始まった〈LAST ORGY 2〉のジョニオくん、NIGO®︎*2くん、それと僕で、よく全国各地をまわった記憶はあって。そうすると、1個、2個下の子が親か銀行からお金を借りたのかわからないけど「セレクトショップやってます」って子が、イベントに呼んでくれることが多かったんです。ジョニオくんが始めたアンダーカバーもドンドンドンドン大きくなるけど、その都市の卸先がないわけですよ。それで、イベントに呼んでくれた子は、ジョニオくんに土下座して「うちのショップで扱わせてください」って頼んで、そこで決まっていくみたいな感じで。

*2NIGO®︎/

ファッション・デザイナー

我孫子
10代でショップの経営者ですか。高校生社長などと、もてはやされることもありますが、当時は、若くして、ショップをオープンさせる人も、ムラジュンさんの周りには多くいたのですね。

村上
僕らの時代は乱暴というか、誰でもブランドができたしね。また、いわゆる裏原宿全盛期だったから、みんな最初の一瞬は上手くいって、良い思いをした人も多かったんじゃないかな。でも、今残ってるブランドやショップは、ほぼないですからね。それこそ、今残ってるのは、その頃からきちんとビジネススキームがあった、金沢の黒崎さんとか、仙台の安藤*3さん。

*3安藤/仙台市内に「リヴォルーション」を始めとしたセレクトショップを展開する

雑誌『CHECK MATE』(講談社)より

我孫子
リヴォルーションの安藤社長とは、いつ知り合うのですか?

村上
確か16歳だったと思う。安藤さんと知り会うと同時に、ノリボウとダイちゃん(安藤さんの息子)とも出会ってるんだよね。ダイちゃんとノリボウとのファーストコンタクトは、目黒区民センターでスケートボードしてるところに、ヒロシくんが、連れてきて、確か彼らは中学生とかだったんじゃないかな。ダイちゃん曰く、僕が滑ってるのを見て、そこにマット・ヘンズリーがいるって思ったくらい衝撃的だったらしい。

我孫子
ムラジュンさんのスケーターとしてのヒーローも、マット・ヘンズリーでしたよね。

村上
安藤さんもそうだけど、同じような熱量で同じものを好きだと、自然と親しくなるじゃないですか。共有しあえるというか。もちろん、イベントにもDJとして定期的に呼んでくれていて。確か、はじめてのリヴォルーションのイベントの次の日にトリッカーズの革靴と、どこのブランドか覚えてないけどベルトを買って、ギャラを全部使った気がする。

我孫子
当時のリヴォルーションは、ムラジュンさんには、どのような印象にうつったのですか?

村上
確かゴルチェとヴィヴィアン(ウエストウッド)があったかと、その辺の記憶が定かじゃないんだけど、東京にもないような、オシャレな感じだったのは間違いない。ただ、今みたいに、この一角が安藤さんのお店ということではなくて、ポツン、ポツンと安藤さんのお店があったイメージかな。レコードショップとかもあったしね。

我孫子
そのあと、ムラジュンさんも自身のブランドSHANTi iを立ち上げます。前回のインタビューで、俳優を一生の仕事としたいと思ったのが20歳とおしゃってました。順風満帆な俳優業に加えて、なぜブランドもやろうと思ったのですか?

村上
ブランドを立ち上げたのは23歳のころなんだけど、俳優という仕事に惹かれると同時に、DJ、ファッションは、遊びっていうか、自分の好きなもの。俳優と同じように、ものすごい熱量があったしね。

雑誌『Ollie EX』(ミディアム)より

我孫子
なるほど。ブランドをはじめて、瞬く間に人気を集めます。そして、リヴォルーションにSHANTi iのオンリーショップができます。これは、どのような経緯ではじまるのでしょうか?

村上
ダイちゃんだよ。確かブランドをはじめて2、3年後だと思うんだけど、スケートボードから始まり、ダイちゃんがムラジュンにすごく興味をもってくれて。いつも思うけど、何かを動かすのは、誰かのたった一人の強い情熱からだなって。でも、そのとき、ダイちゃんは笑われたらしいよ。実際に上手くいかなかったけど、上手くいかないだろうって。

我孫子
なるほど。では、ショップを始めることで、DJ以外でも仙台によく通うようになるんですか?

村上
やっぱり増えたかもしれない。ダイちゃんや、村上(久典)くんと遊ぶ機会が増えたから。

 

我孫子
そもそも、今いっしょにブランドをやっている村上さんとは、いつ出会うんですか?

村上
確かSHANTi iの仙台店ができる前だったと思うけど、今リヴォルーションのマルジェラが入っているビルの屋上にプレハブみたいな小屋が建っていて、そこが工房みたくなっていて。シルクスクリーンの機械があって、そこでダイちゃんとかと、いっしょにいた村上くんに会ったんだよね。手刷りしたTシャツが置いてあって「これ誰がやったの」って聞いたら、村上くんが「自分です」って答えて。DIYで見様見真似でやっていたと思うんだけど、随分器用な子だなって思ったのが最初かな。

我孫子
そこから、2、3年後ですかね。ともにブランドをやるようになります。なぜ、村上さんといっしょにブランドをやろうと思ったのですか?
村上
僕はもともと手先が器用な人に興味があって。だって、それだけの時間を費やしてるからこそ、細かい作業も上手にできるってことでしょ。そういう人にすごく興味がある。

我孫子
なるほど。また、ムラジュンさんの作る洋服は、かなりトリッキーでしたから、なかなか、作れる人を見つけるのも大変だったんじゃないですか?

村上
20代の頃は、こうだって思ったらテコでも動かなかったからね。

我孫子
そんな中、村上さんが青葉区にアトリエを構えて、SHANTi iの生産を仙台でおこなうようになります。

村上
僕がずっと憧れていたのは、工房スタイル。パタンナーもいて、縫う人間もいて、ある程度生地もストックしてあったら、僕がイメージしたものを1日でサンプルまで仕上げられるでしょ。そういう環境ができたからね。それは、村上くんの頑張りだと思うよ。もっと言うと、会社なんて経営したことないだろうに、すごい勉強したんでしょう。あの人のすごさって、人が10年かかって通るところを5年、いや3年でいくっていうすごさですよ。

我孫子
ムラジュンさんのベースは東京です。仙台とは物理的な距離があります。それは、どのように解決していたのですか?

村上
そのころ、土日は高速代が、どこまで行っても1000円だったのよ。だから金曜の夜12時過ぎに東京から高速に乗って、朝5時くらいについて、車で仮眠して、10時くらいに村上くんとかが出勤してきて作業して、その日の夜12時過ぎたら東京に帰るってサイクルだったかな。

我孫子
かなりハードですね。村上さんに、東京でアトリエをやってもらうって選択肢はなかったんですか?

村上
ないないない。東京って住む街じゃないからさ。特にアパレルでいうと渋谷、原宿っていうのは仕掛ける街で、住むなら別の場所がいいですよ。当時は違かったけど、インターネットの登場以降、どこにいようが情報が共通にあるわけで、特に今なら物も買えるしね。例えば、博多のKYNE*4くんとかも、今でも博多在住でしょ。マイペースで博多から離れる気もないだろうし。

*4KYNE/アーティスト

我孫子
東京にいると、自分が流されていないつもりでも、知らず知らず、染まっていくというか……例えば、昔だったらタックインなんて絶対にしなかったのに、流行ってて、周りがそういうスタイルをしていると、いつの間にか、自分もタックインしてしまったりして。よく言えば、時代に適応していく。悪く言えば汚染されていく。もっと言うと、街のスピードに適用していかないと、その場にいる面白さを享受できないような錯覚に陥ってしまいがちですよね。ただ、僕もムラジュンさんの連載を担当させてもらい仙台に度々行くようになって、僕らの好きだった青春時代のまんまというか、その時の衝撃が、より純度の高いまま持続している人が多いなって。しかも、好きなものを、ずっとやっているから、その技術が、とんでもないことになっている人に何人か会ってビックリしたと同時に、仙台に住む人々がすごく魅力的に見えました。

村上
東京とかニューヨークって、どうしても、発信源じゃん。時間の流れって1日24時間のはずなのに、こうも違うかって全国各地をまわると感じる人も多いと思うんですよ。だからこそ、東京は、自分のペースを強く掴んだりとか、誘惑に強い人じゃないと難しいかもね。

我孫子
村上さんの変わらない魅力と、急速に何かを吸収してく魅力によって、新たにMADE IN GM JAPANというブーツブランドが生まれます。

村上
村上くんからしたら、突拍子もなかったと思うよ。いきなり、ブーツブランドやるって言われて。どこにブーツを縫う工場があるかも知らないなか、相当勉強したんだと思うんだよね。そこから、10年かかるだろうものをあっという間にものにして。そういう行動力は尊敬するところかな。

 

村上久典さんが中心となり手がけるMADE IN GM JAPANの最新作のエンジニアブーツ

仙台のポップアップでリリースされるMA-1。背中に入った矢印Sロゴ、左袖腕のパンチングレザーなど、ボディからステンシルのカラーなどまで、1点1点完全なワンオフアイテム

我孫子
そんな村上さんとともに、今回リヴォルーションで、SHANTi iのポップアップストアを行うことになりました。こちらの経緯を教えてください。

村上
SHANTi i仙台店を閉じて、しばらく安藤さんとも会っていなかったんだけど、ヒロシくんがやっているフラグメントとヴィトンがコラボレーションをしたときのレセプションに、僕はヴィトンから呼ばれたんだよね。それでヒロシくんともしばらく会っていなかったけど、改めて「行きます」って連絡して。その会場で安藤さんとも久しぶりに会って。ヒロシくんと僕の久しぶりの2ショットを、確か安藤さんが撮ったんじゃないかな。その写真が安藤さんかダイちゃんのインスタグラムで見て。それで久しぶりに連絡したんだよね。そしたら「久しぶりにお茶飲みにいきたいね」ってなって。

我孫子
安藤さんの事務所にお邪魔した際も面白かったですね。安藤さんがギターを弾いていて。「ムラジュン弾く?」みたいな挨拶もロクに済ませないままセッションが始まりました(笑)。

村上
お互いろくに弾けないのにね(笑)

我孫子
その後ランチをご馳走になりながら、改めてSHANTi iとMADE IN GM JAPANのお取り引きをお願いしました。そして、8月31日、9月1日、SHANTi iのポップアップストアをリヴォルーションでおこなうことになりました。今回はどのようなコンセプトでおこなうのでしょうか?

村上
〈save tonight〉というテーマを掲げています。直訳するとっていうかブロークン英語ですが「今夜開いてる?」みたいなことなんだけど、そこから、あなたなら、何をしりとりして解釈しますか?ってお客さんに投げかけられたらと。俳優の癖なのかもしれないけど、理解とか印象を相手に委ねたいというか。結局自分は優しい人だって言っても、どうやら、僕は怖いってイメージがあるみたいで。それは拭えないじゃん(笑)。
我孫子
ちなみに、どんなアイテムが並ぶのでしょうか?

村上
自分が色濃く影響を受けたものを、とても露骨に出します。それはマット・ヘンズリーのシルエットだったり。

我孫子
それは、やはりダイちゃんと再びプロジェクトに取り組むことも影響しているのでしょうか?

村上
当然。ヘンズリーを想起させる、というよりかは、当時、ヘンズリーに訳もわからず影響を受けて、自分なりに、スタイルを模索した人間たちのようなことかな。ある種、SHANTi i仙台店があったころ、メインにしていた、矢印を用いたSのグラフィックロゴのアイテムもリリースします。もちろん、そんなグラフィックも使いながらも、今のSHANTi iだからこそできる提案ができたらなと。また、現在のキーアイテムでもあるスーツがあったり、今の僕が作る、当時とは似て非なるSHANTi iをお見せできると思います。

 

仙台にあるリヴォルーションでの1枚。安藤社長、ノリボウ、ダイちゃんとの写真

村上淳さんと仙台。俳優だけでなく、DJ、そしてブランドをはじめることで、仙台、もっと言えば仙台出身の人々に惹かれ、より深く関わるようになっていく。そして、現在はSHANTi iとMADE IN GM JAPAN、さらにはスニーカーとアイギアのブランド、toast FOOT & EYEGEARを村上久典さんとともに手がけています。村上久典さんと手がけるSHANTi iのショップが、2日間限定で、ポップアップという形でおこなうリヴォルーションに是非とも足をお運びいただければと思います。そこには、怖いというイメージとは異なる、びっくりするくらいナイスガイなムラジュンさんが、店頭で迎えてくれるかと思います(笑)。

SHANTi i POP UP STORE

〈save tonight〉
開催日時:2019年8月31日、9月1日 11:00~20:00
開催場所:ReVoLuTioN
宮城県仙台市青葉区中央2-10-10 REVOLUTION bldg 2F
電話番号:022-262-6864
https://les01.exblog.jp

村上淳

1973年生まれ。1993年20歳で挑んだ『ぷるぷる 天使的休日』(橋本以蔵監督)で映画デビュー。以降100本以上の映画作品に出演。また、自身が手がけるアパレルブランド、SHANTi i(シャンティー)のデザイナー。

 

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BGM of "BGM"

佐藤那美宮城県仙台市荒浜出身の音楽家。ピアノを中心にエレクトロニカ、アンビエント、ストリングスなどのサウンドを取り入れる。CMや映像作品に多く楽曲提供。レッドブルミュージックアカデミー2018inベルリンに選出。関連記事はこちら