1分コラム

宮城看板放浪記 第五回 「ブルボン」

古き良き宮城の街並みをかたちづくっていた証。それは看板! 古くなるほど愛しさつのる。ライターりりっくれおなるどが、看板の声に耳を傾け一句したためる。今日も看板を求めさまよう、みちのく一人旅。今回訪れたのは、青葉区八幡のブルボンさん。

Aug 29, 2018     

国宝 大崎八幡宮を目指して作並街道を進み、大崎八幡宮が見えてきたところで左に曲がったちょうど角っこに、八幡界隈の住人のみならず、様々な人に愛されてきた老舗の洋菓子店がある。
 
ショッキングな黄色をした看板が目を惹く。その黄色の上に濃い青で丸みを帯びた字で『ブルボン』と書いてある。
 
私が初めてその看板を目にしたのは、ざわつくSNSで飛び交う言葉の数々。
「ブルボンが閉店? マジで?」「なくならないでほしい」
看板商品は「サバランババ」というお菓子らしい。長い間お店を続けてきたが、ご高齢と体調不良が重なって、やむおえず急遽閉店となるとのこと。そんな言葉の数々を見ていてもたってもいられず、閉店前日、私は急いでブルボンさんへ向かった。
 
 

 
 
伺う前にお店に電話をした。
「サバランババはありますか?」
慌ただしい雰囲気が電話でも伝わる中、奥さんは
「ごめんなさいね、朝から皆さん並んでくださって昼前には無くなって次はいつできるかわからないんです。良かったら来てくださいね」
と、忙しいのにも関わらず丁寧にお返事下さった。
 
店の前に着くと、洋菓子とパンの店『ブルボン』と描かれた看板の下に、既に何人も並んでいる。
 
 

 
 
店内に入ると、ショーケースが幅をきかせ、お客さんの立つスペースがやっと。
 
ショーケースの向こう側には、お菓子を作ったり、接客したりと、汗を流しながら最後の仕事をする奥さんとご主人の姿。
 
並んでいたお客さん達から開口一番出る言葉は、注文じゃない。
「今までありがとう」
それから思い出話や、今日は何が買えるのか?と話が続いていく。そういうやりとりが延々と続き、奥さんは時には涙し、時には笑顔で対応されている。
 
お目当ての『サバランババ』どころか『気になるタンタオ』も、ケーキもパン類もショーケースは空っぽだ。
 
「厨房は50度くらいなんだってよ、旦那さん大丈夫かしら?」
と並んでいたご婦人が話しかけてくれた。お話を聞いたら、45年前からお子さんの保育園の送り迎えでお店の前を通っていた。
「子育てに必死で、ブルボンさんのお菓子を買って1人で食べる時間が息抜きだったわ」
 
ブルボンさんは、奥さんが接客してご主人がお菓子を作る。
奥さんは、お子さんが小学校に上がったのを機に本格的にお店を手伝うようになり、それから数十年もお客さんとやりとりしてきた。
 
奥さんは、お客さんに
「感謝しかないんです、本当に」
と言いながら、ショーケースと厨房行ったり来たりしている。
 
お店の前を恥ずかしそうに覗いたり戻ったりしている、流行りの服に身を包んだ若い男女が。男の子に年齢を聞いたら19歳だと言う。
一度も買ったことはなかったが、ブルボンの前が小学校からの通学路だったそう。毎日歩いて通学しているなかで、『ブルボン』の黄色い看板を見ると、
「もうすぐ家だなって安心してました」
と語る。
「あるとほっとする存在だったから、寂しくてお店に会いにに来たんです」
そうやってお店を静かに眺め、その場を去った。
 
その後も、店にやってくる人に話を聞いてみると、お菓子だけではなくチョココロネが好きだったという人や、大崎市から車で駆けつけた人、ブルボンの最後を見届けたいという人の行列が後を絶たなかった。
 
電話も後を絶たない。奥さんが嬉しそうに私に語りかけた。
「今ね、大崎八幡宮のどんと祭に来たことがきっかけで、お店に来るようになった人がいてね。どんと祭のたびに毎年東京から訪れてきてくれてた人なんだけど、その人からお礼の電話がきたの。ありがたいね」
と涙ぐむ。
 
私が取材をすると、忙しい奥さんの代わりにお客さんが答えてくれたりする。私はブルボンさんの45年のうち1日もいないのに、なんだかブルボンさんの45年を見届けたような気持ちで胸がいっぱいだった。


店名 
洋菓子とパンの店 ブルボン
 
業種  
菓子、パン製造販売
 
創業年
1973年(昭和48年)10月
(山口百恵が歌手デビュー、仙台市民会館開館。大泉洋、イチローが生まれた年)
 
看板制作年
1973年(昭和48年) オープンの少し前
 
制作者
青葉区八幡に在った看板屋さん
 
素材
表の看板と脇の看板② テント素材
脇の看板① アクリル素材
 
自慢できること
45年間続けてこられたこと。馴染みのお客さんがずっと通ってくれたこと。
 
看板メニュー
サバランババ
 
看板もう一つの看板メニュー
「一番の看板メニューって言っていいのかしら、何よりの自慢はお客さん。」
と奥さんは語る。


 
 

サバランババ

 
パン生地とケーキの中間くらいの生地を焼き、その中をくり抜いて、生クリームとカスタード、フルーツを挟むという、シンプルな工程ながら手間暇かかる一品。
食べることはできなかったが、食べたことがある人の感想を伺ったところ「濃厚クリームにフルーツがさっぱりとしていて他にはない、ブルボンだけの味」なのだそうだ。
 
 

サバランババになる前の状態

 
この、パンとケーキの中間くらいの焼き菓子の間をくり抜いてたっぷりクリームを包む。
 
 

お気に入りのサバランババの写真

 
奥さんとご主人が、馴染みのお客さんからいただいたという、サバランババの写真。店内に大切に飾ってある。
 
 

看板商品はお客さん

 
こちらの父娘は、お父さんが小さい頃の思い出の味がブルボンで、閉店を聞き市内から娘さんを伴い来店。小さい頃、お母さんがお腹を空かせてるだろうと、いつもブルボンのチョココロネやブルーベリーサンドを買ってきてくれたのが思い出。
 
 

寄せ書きを書いているのは40年来通われている男性。最後にお礼を言いたくて来店した

 
 

3カ所にある看板

 
表の看板はテント素材。目立ってほしいという思いから作られた看板。時には小学生の目印に、時には保育園に送り迎えするお母さんを元気づけ、「毎日見てたから買った事はないけどお礼にきた」という人がいるくらい地元民には愛されていた表の看板。ブルボンさんの想いはみんなに伝わっている。
 
 

脇の看板①

 
 

脇の看板②

 
大崎八幡宮を作並方面に進むようにして左折してすぐ見えるのがこの2つの看板。アクリル素材とテント素材。テント素材は10年から15年が寿命らしく、今の看板で三代目。
 
 

夜のブルボン

 
日が暮れると小さなスポットライトが黄色い看板を照らす。この日は最終日。ブルボンの看板に灯りが灯る事はもうないが、45年間みんなを見守って照らしてきた看板だ。
 
 

ご主人と奥さんの心がこもった手書きのお知らせ文

 
この張り紙で、SNS上や地元マスコミ各社がざわついた。これだけみんなに愛される店も珍しい。奥さんとご主人の優しい人柄と職人の味が45年間ファンを増やし続けた。
 
 

木枠のレトロなとびら

もう開く事はない扉。多くのお客さんが出入りし、奥さんとご主人が温かい接客をしてきた。
 
 

駐車場の看板も手書き

 
 

記念にくださった貴重なゼリー型

 
 

唯一買えたショートケーキ

 
看板メニューのサバランババは売り切れで食べられなかったけど、ショートケーキは生クリームがとても濃厚で、本当に美味しかった。
 
 

ご夫婦で頑張った45年

 
最後の日には、たくさんの労いのお花や、寄せ書きがお二人のところに集まった。「こんなに長く続けられたのはお客さんのおかげ。いいお客様に恵まれて人生のご褒美だと思っているの。」
私は、45年のうちの最後の日の2時間ほどしかご一緒できなかったが、ブルボンさんが本当に大好きになった。地元の人に愛される理由がちゃんとあった。
 
 
ここで一句

ブルボンの黄色い看板目印に
今日はお菓子を買いにけり
明日はあの子と待ち合わせたり
 
幸せをみんなに灯して45年
夏の日にみんなの想いに変わりけり

 
ブルボンの看板を目印に、お菓子を買う日もあれば友達と待ち合わせる日もあった。45年の幸せな日々はある夏の日にみんなの思い出になった。
 
明日も看板を求め、みちのく一人旅はつづく。
 

洋菓子とパンの店 ブルボン

  住所 仙台市青葉区八幡1丁目1-34 開店日 昭和48年10月 閉店日 平成30年8月6日

 

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りりっくれおなるど
栗原市産まれの仙台市民。写真やファッション、音楽、映画が大好き。靴コレクションは100足突破。栄養士として、学んだ知識と鍛えられた舌で仙台の美味しい物を探している。営業で培った人脈で、食べ物や音楽、アート、洋服などで、仙台を盛り上げる事が目標。いまは立ち飲み屋で吉田類と飲む事が夢です。

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antennasia san (vocal) とNerve (track) により1999年に結成。ブリストル・サウンド、ダブなどをルーツとする。アルバムごとに音楽性の幅を広げつつ、一貫して、sanのヴォーカルを軸としたトリッピーなサウンド/ベース・ミュージックを追求している。soundcloud