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どうやってアートの扉を開いたの?
大切なものは目に見えない(前編)

あなたは自分に正直に向き合っていますか? 宮城には、全身全霊をかけて自分に向き合い、とことんアートを追求し、社会との関わりを実践しているアーティストがいます。独自の世界観をもつ作品をつくりあげ、他を魅了し続けている在仙のイラストレーター、松下さちこさん。パリでの経験を経て、仙南から東北の日常を世界へ発信している写真家、山田なつみさん。二人が考えていること、信じていること、そのカケラが少しでもあなたの元に届きますように。

Jul 30, 2018   

THE6』をご存知だろうか? 仙台の定禅寺通りにあるせんだいメディアテークから東北大学病院の方向へ5分ほど歩くと、真っ白なヴィンテージビルが現れる。建物をリノベーションし、シェアオフィス、イベントスペース、アパートといった空間が融合したシェア型複合施設だ。ここには年齢も職業も違う様々なフィールドの人が集まる。大学生、デザイナー、建築家、パティシエなど。何と肩書きを表現したら良いのかわからない人もいる。
 
『THE6』はオープンから2周年を迎え、仕事場、遊び場、交流の場として、ゆるやかなネットワークをつくりながら新たな価値を発信してきた。2018年6月、これまでに培ったつながりと新しいつながりをシェアするフェスティバル『6FES』を開催した。
 

 
今回は『6FES』のトークイベントの一つ「大切なものは目に見えない−アートと社会の関わり方−」より、二人のアーティストの言葉をお届けする。
 
ウェブマガジン「BGM」でも以前ご紹介した仙台の老舗百貨店『藤崎』のクリスマスディスプレイを手がけ、独自の世界観をもつ作品から他を魅了し続けている在仙のイラストレーター、松下さちこさん。そして、パリでの経験を経て、宮城・福島を中心に無形文化財や日常の風景を撮影し、展示・写真集・ブログなどから世界へと発信している仙南在住の写真家、山田なつみさん。聞き手は『book cafe 火星の庭』店主の前野久美子さん。
 
前編では、松下さんと山田さんがどのように自分の内面と向き合い、アートの扉を開いたのか、後編では二人が考えるアートと社会との関わりについてのお話。
 
 

どうやってアートの扉を開いたの?

 

 
 

山田なつみさんの場合

単身飛び込んだパリで二度巡った写真との出会い

 
大学生の頃、フランスに『PURPLE』という雑誌があって、すごく素敵であんな雑誌で働きたいなと思っていたんですね。何か紙で表現する世界に憧れがありました。雑誌の編集部でアルバイトがしたいという気持ちで、東京にある大学の文芸学部に通って、いろんな出版社に履歴書を送りつけました。当時インターネットは一般的ではないので、雑誌の裏に付いている編集部の電話番号に電話をして、履歴書を送った他に、尚且つ手持ちでも持って行くんです。
 
それで最初にアルバイトをしたのが『マガジンハウス』というところでした。時は2000年代、『an・an』を立ち上げた編集者さんなどがいらっしゃって、バリバリとした働きぶりを実感しました。
 
『PURPLE』に載っていたファッションエディター兼カメラマンの方に惚れ込んで、どうしてもこの人に会いたいと思いました。『マガジンハウス』の次にアルバイトをしていたカルチャー誌の編集長だった菅付雅信さんに、「この人のところに行きたいです。紹介してください」と頼んだんです。来ていいよとも言われていないのに大学を卒業した後、履歴書を送りつけてパリに行きました。
 
『PURPLE』では、ファッションエディター兼カメラマンの方のアシスタントとして入ることができました。セカンドアシスタントだったのですが、師匠が撮影中にも関わらず、パリコレの時期は『ルイ・ヴィトン』のショーとかに行っていなくなっちゃうんです。そうすると3時間くらい待たされて、モデルさんも怒ってしまう。間を持たせなきゃと思って、私が師匠のカメラで勝手に撮る。結果、師匠が私が撮ったものを見て「これいいじゃん、できるじゃん」と。もともと、ファッションの方に興味があって行ったんですが、なぜかカメラアシスタントになっていたんですよ。それが写真家になった最初のきっかけです。
 

 
セカンドアシスタントだったので、ファーストアシスタントの方が良く思わなかったり、私のフランス語があまり上手ではなかったので、得意先のところでコミュニケーションミスがあったりしました。「なんであんなに上手なフランス語を書いて志願してきたのに、同じようなフランス語を喋れないの?」と言われてしまって、そこからソルボンヌ大学に入学して音声学を専攻しました。これ以上、私のフランス語の発音で誰かに迷惑をかけたりすることがないように、やるなら徹底的に極めようと思ったんです。
 
パリの19区にあるゲットーみたいな場所にあるお寿司屋さんでアルバイトをしながら大学に通いました。お店の周りには、郊外だったので大きな工場があって、そこをリノベーションして写真家やアーティストの方が、大きな作品を作るためにスタジオにしていました。お客さんは、移民の方もいれば、アーティストもいる。会計をする時に「お前やたらフランス語うまいな」と言ってきたり。
 
その中にいたフランス人のカメラマンに「今度、日本の新聞社と一緒に広告を作るからお前来い」と声をかけられました。大学で勉強をしていた2年間は写真とは一切関係を絶って、音声学だけに集中していたんです。そんな時に「お前来い」と再び写真の世界に引っ張られ、本気で写真と向き合うようになりました。
 
 

松下さちこさんの場合

絵がなんとかというよりも人間を鍛えなければ

 
物心ついた頃から絵を描くのが好きで、箱の裏とかに空白を見つけると、とにかく絵で埋めていました。空想したり、音楽を聴くのも好きでした。
幼稚園も小学校も2年くらいで飽きてしまって、毎日親に学校に行きたくないとせがんで、ずる休みすることばかり考えていました。
 
人は表面的に良いことを言っても本当にそう思っているわけではないと、子どもの頃から見ていました。汚い言葉遣いでも気持ちがある大人もいたし、丁寧な言葉遣いでも気持ちが真っ黒な大人もいて、本心が見え透いていました。そういう部分は現在の私の作品にも投影されていると思います。見える部分だけが本当じゃない。見えない部分も見えるようになりたいと考えているんです。
 
中学校を卒業した時に、絵だけ描いていたいなと思いました。高校に行くのも無駄だなと思っていました。SNSのない時代でしたので、山田さんが雑誌にある編集部の電話番号に電話したのと同じように、雑誌の裏にある専門学校やデザイン学校に電話しました。でもどの学校も「高校を卒業してから来てください」と言うんですね。高校に入ってもどうせ辞めてしまうだろうと思って、学費が一番安い高校を選びました。
 
高校に入ると話が合う人はいなく、アルバイト先で話す大人との時間が楽しいものでした。父親とはなかなかうまくいかず、家出をし、高校一年生の時から一人暮らしを始めました。
家賃や光熱費を稼ぐために、喫茶店だけでは足りず、年齢をごまかして、カナダ人のお姉さんたちと一緒にガールズバーのようなところでも働き、学校も行かず、補修で単位をもらうという感じでした。
 
そんなこんなで自立心が強すぎて、とにかく大人の世話になりたくなく、自分でなんとかしようとしていました。今振り返ると、私は経験して痛い目に合わないと何もわからない人間なので、親がしょうがないと腹をくくってやらせてくれていたことだったのだと思います。
 
行く先々で絵の仕事がしたいと話していくと、それを面白がって引っ張り上げてくれる大人がいました。一番最初にしたのはテキスタイルデザインのお仕事です。イラストレーターとしてデザイン会社に入っていたこともありました。
 
ただ、今のように自分のスタイルを持たずにいたので、絵が上手なだけで、技術があれば誰でもできるものでした。最初は楽しかったのですが、描いているうちに、これは私が描かなくてもいいんじゃないかとか、ダサいとか思うようになってきてしまって、描くことが楽しくなくなってしまいました。
 
子どもの頃から唯一好きでやってきたことなのに、それが嫌いになってしまうのは悲しいなと思いました。普通にOLさんをやって、もらったお給料で、趣味のことをやって彼氏とデートをして、それで幸せだったらそれで良いんじゃないかと。こんなちっぽけな才能であるのに、それをもらったがために、どうにかしないといけないと小さい頃から苦しかった。どうしたらいいのかわからなくて、情緒も不安定でした。
 
普通の仕事をしようと思って、派遣社員をした時期もありました。でも、やっぱり絵から離れると駄目でした。人とも話せなくなって、仕事中に涙が流れてくることもあって。その時に400万円お金を貯めて、2年間引きこもりました。引きこもっている間も外国へは出掛けましたが、日本国内はどこへも出ませんでした。家では電話線を抜いて誰とも連絡をとりませんでしたが、親しい友達が電報をくれたこともありました。
 

 
精神的に酷い状態が続いて、最終的に絵から離れられないのであれば、覚悟を決めて絵に向かおうと。そこから残っていたお金で武蔵野美術大学の通信教育課程に入りました。自分に足りないものがなんなのかわからなかった。まず自分がどこまで描けるのかが知りたいなということと、この人に見てもらいたいと思える尊敬できる人の言葉が欲しかったんです。
 
愛読していた専門誌でコラムを書いていた方が教授をされていたので、その方に見ていただくことができました。「絵も、人間も、基本ができれいればあとは魅力があるかどうかなんだ」と言う言葉をいただいて、それが私の指針になっています。魅力というものに関しては自分が生きていく中でついてくるもの。絵がなんとかというよりも人間を鍛えなければいけないんだと。
 
一度、「自分の絵」(作風)をもたずにイラストレーターをして挫折しましたが、その後になってわかったことは、自分の絵を持っていないから、自分の目指す仕事に繋がらないだけで、自分がそこに向かっていないから、相手もそういうふうに見てくれていないだけなんだ、と思いました。
 
さまざまな経験を経て、「この雑誌に載りたいな」「このアートディレクターと仕事がしたいな」「このイラストレーターと肩を並べた場所で展示がしたいな」と思ったら素直にそこに向かおうと思えるようになりました。まずは自分の武器をつくって磨こうと長い時間をかけて取り組むことになりました。そして今の「自分の絵」に行き着いたんです。今の技法や作風は私らしいと感じていますが、自分自身も絵もまだまだ変化し続けていきたいと思っています。
 

Sachiko Matsushita
 
 
後編では、山田さんと松下さんが、アートと社会の関わり方について考えていることをお届けします。
アートと社会の関わり方ー大切なものは目に見えない(後編)
 
 

松下さちこ (まつした・さちこ)
 
第187回 ザ・チョイス 入選(ミナ・ペルホネンデザイナー 皆川 明審査)。NYを拠点と『PAN AND THE DREAM 』主催。“CENSORSHIP PROJECT ” に世界的ファッションフォトグラファーNick Knightと世界中から集められたアーティストと共に参加。同プロジェクトよりアートマガジン出版。NY、ロンドン、パリ、デンマーク、東京などで販売中。
http://r.goope.jp/m-sachiko-m

 
 

山田なつみ (やまだ・なつみ)
 
大学在学中に雑誌「Composite」の編集に携わる。2003年渡仏。バイト先で、世界的な写真家集団「マグナム」のGueorgui Pinkhassovなど現地の写真家と出会い、独学で写真を始める。Katja Rahlwesのアシスタントを経てパリ大学にて視覚芸術を学ぶ。今秋、仙台写真月間2018に参加。
http://www.uraparis.com/blog/

 
 
写真 はま田あつ美
 

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高野明子
随時工事中の人間型複合文化施設。企画とデザインを手がける「Waltz by Lucy」、河原に流れ着いたものでつくる装飾品「10Ma editing of the earth」主宰。仙台のシビックプライドについて考え、ローカルなカルチャーを伝えるプロジェクト「SEN.」を立ち上げ、友人たちと取り組んでいる。愛称はルーシー。

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BGM of "BGM"

antennasia san (vocal) とNerve (track) により1999年に結成。ブリストル・サウンド、ダブなどをルーツとする。アルバムごとに音楽性の幅を広げつつ、一貫して、sanのヴォーカルを軸としたトリッピーなサウンド/ベース・ミュージックを追求している。soundcloud